2022/08/26 「経済安全保障」第7回 経済安保法(第5章)特許出願の非公開<後編>
こんにちは。BIP株式会社・経済安全保障コンサルタントの児嶋秀平です。
私は現在、知的財産の専門家である弁理士として特許事務所を経営しています(https://www.kojima-ip.com)。弁理士になる前は、国家公務員として経済産業省、中小企業庁、資源エネルギー庁、警察庁、外務省、内閣官房等で30年間勤務しました。
この講座では、現内閣の最重要政策の一つである「経済安全保障」を巡る動向と、それが企業に与えるであろうインパクト等について、元国家官僚としての私見を交えつつご説明したいと思います。
今回は、経済安全保障法の第5章「特許出願の非公開」の後半について解説します。この章は私の専門分野ですので、2回に分けて私見を交えた詳しい解説をお届けしています。
目 次
■注目の動向は、経済版2プラス2と新担当大臣就任
本稿を執筆しているのは8月10日ですが、前回の執筆日(7月12日)以降も、日本の経済安全保障を巡る動きは国内外において活発でした。
中でも特筆すべきは7月29日にワシントンDCで開催された、日米の経産大臣と外務大臣による「経済版2プラス2」の初会合です。この会合での主な合意内容は、報道によれば次の通りです。
- ・ルールに基づく国際経済秩序作りを日米で主導すること
- ・重要物資の供給網強化や先端技術保護などに関する行動計画を日米で策定すること
- ・次世代半導体の共同開発を日米で推進すること
- ・米国がシェールオイルとシェールガスを増産し、日本に供給すること
これらはいずれも、中国及びロシアによる経済安全保障上の脅威への対抗と緩和を明確な目的とするものです。日本の経済安全保障法の思想・内容とも整合しており、大きな成果だと思います。
ただ、このような重要な会議に、肝心の日本の経済安全保障担当大臣が参加しないところに、政権及び政府内の微妙な力関係を感じてしまうのは私だけでしょうか。
さて、その経済安全保障担当大臣には、本日8月10日の内閣改造によって、高市早苗氏が就任しました。
総務大臣等の重要閣僚や与党の政調会長を歴任し前回の総裁選でも善戦した重鎮政治家の担当大臣起用は、日本の経済安全保障にとって極めて朗報であると思います。
経済安全保障法には、セキュリティクリアランス制度の導入などの重要課題が多く残されています。新大臣の強力なリーダーシップと腕力に大いに期待したいと思います。
■高評価!第5章「特許出願の非公開」後半は経済安保上必要な厳格規定に
このような国内外の動きも踏まえつつ、今回も前回までに引き続き、経済安全保障法の内容を条文ベースで見ていきましょう。
経済安全保障法が創設する4つの制度のうち、第一の柱である第2章「特定重要物資の安定的な供給の確保」、第二の柱である第3章「特定社会基盤役務の安定的な提供の確保」、第三の柱である第4章「特定重要技術の開発支援」、及び第四の柱である第5章「特許出願の非公開」の前半(第65条〜第72条)については、前回までにご紹介しました。
今回は、第5章「特許出願の非公開」の後半(第73条〜第85条)について説明します。
なお、本ミニ講座における説明のうち、意見、推測、主張、感想、賞賛、批判などに係る部分は全て筆者の個人的見解であり、BIP株式会社の公式見解を示すものでは一切ないことはこれまでと同様です。
経済安全保障法の全条文は、内閣官房のウェブサイトに公開されています。
経済安全保障法(PDF)https://www.cas.go.jp/jp/houan/220225/siryou3.pdf
第5章第73条以下の内容は95ページ以降に記載されています。
第一章「総則」(第1~5条)
第二章「特定重要物資の安定的な供給の確保」(第6~48条)
第三章「特定社会基盤役務の安定的な提供の確保」(第49~59条)
第四章「特定重要技術の開発支援」(第60~64条)
第五章「特許出願の非公開」(第65~85条)
第65条:特許出願非公開基本指針
第66条:内閣総理大臣への送付
第67条:内閣総理大臣による保全審査
第68条:保全審査中の発明公開の禁止
第69条:保全審査の打切り
第70条:保全指定
第71条:保全指定をしない場合の通知
第72条:特許出願の取下げ等の制限
第73条:保全対象発明の実施の制限
第74条:保全対象発明の開示禁止
第75条:保全対象発明の適正管理措置
第76条:発明共有事業者の変更
第77条:保全指定の解除等
第78条:外国出願の禁止
第79条:外国出願の禁止に関する事前確認
第80条:損失の補償
第81条:後願者の通常実施権
第82条:特許法等の特例
第83条:勧告及び改善命令
第84条:報告徴収及び立入検査
第85条:送達
第六章「雑則」(第86~91条)
第七章「罰則」(第92~99条)
附則(第1条~11条)
■第5章:第73条(保全対象発明の実施の制限)
第73条は、保全対象発明の実施を禁止する旨を規定しています。
「保全対象発明」とは、特許出願の明細書等を公にすることにより外部から行われる行為によって国家及び国民の安全を損なう事態を生ずるおそれが大きいとして、内閣府の保全審査によって保全指定された発明をいいます。
禁止の対象となる者は、出願人自身だけでなく、原則として発明内容を知った者の全てです。これは当然でしょう。
また、禁止の対象となる「実施」については、本条は特許法第2条第3項を引用しています。すなわち、発明の「実施」とは次の行為をいいます。
1)物(プログラムを含む)の発明 | その物の生産、使用、譲渡等、輸出若しくは輸入又は譲渡等の申出(展示を含む)をする行為 |
2)方法の発明 | その方法の使用をする行為 |
3)物を生産する方法の発明 | その方法を使用をする行為のほか、その方法により生産した物の使用、譲渡等、輸出若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為 |
なお、本条に違反して保全対象発明の実施をした者は、第92条第1項第6号により、2年以下の懲役及び/又は100万円以下の罰金が課せられます。つまり、いずれかの罰、もしくは両方の罰が課せられるということです。
また、同条第2項は未遂犯を規定しています。すなわち、保全対象発明の実施に着手しただけでも同様に罰せられます。これはなかなかに厳しい罰則であり、経済安全保障上は好ましいですが、出願人たる企業は特別な緊張を強いられるでしょう。
さらに、同条3項は国外犯を規定しています。すなわち、日本国外において保全対象発明の実施をした場合も同様に罰せられます。もしこの規定がなければ、保全対象発明の出願人が中国・ロシア・北朝鮮にまず渡航して、彼の地で実施する行為が禁止対象から外れていたでしょう。第73条が引用する特許法第2条第3項は、日本国内での行為のみを規定しているからです。
■第5章:第74条(保全対象発明の開示禁止)
第74条は、保全対象発明の内容の開示を禁止しています。本条は、前条の「実施」よりもさらに広い禁止の網をかけるものです。
禁止の対象となる者、及び違反した場合の罰則は、前条と全く同様です。ということは、日本国外において開示に着手して結果的に開示されなくても、国外未遂犯として処罰の対象となるわけであり、企業にとっては相当に厳しい規定ですが、経済安全保障の観点からは必要だと思います。
これほど厳しい罰則規定をさして大きな抵抗もなく実現した政府はよくやったと、高く評価したいです。
■第5章:第75条(保全対象発明の適正管理措置)
第75条は、出願人が保全対象発明に係る情報の取扱を認めた「発明共有事業者」に対する適正管理義務を規定しています。
続く第76条は、出願人が発明共有事業者を変更した場合の届出義務を規定しています。
さらに第77条は、内閣府が保全指定を継続する必要がないと認めるときは、保全指定の期間満了を待たずに解除することを規定しています。ただ、保全指定の期間は1年ごとの更新なので、本条が実際に発動されることはあまり想定されません。
■第5章:第78条(外国出願の禁止)
第78条は、何人も、日本国内でした発明であって公になっていないものが、第66条に規定する発明であるときは、日本の特許庁に出願することなく外国出願をしてはならない旨を規定しています。言い換えれば、まず日本で出願せよ、という規定です。よって、本条は「第一国出願義務」ともいわれています。
第66条に規定する発明とは、公にすることにより国家及び国民の安全を損なう事態を生ずるおそれが大きい発明が含まれうる技術分野(特定技術分野)に属する発明です。すなわち、特許庁による第一次審査の対象となる発明です。
また、「外国出願」とは、外国政府の特許庁に直接出願する場合と、PCT国際出願をする場合の両方を含みます。なお、「PCT国際出願」とは、特許協力条約(PCT)に基づいて、複数の国を指定して世界知的所有権機関(WIPO)に対して一括して出願することができる制度です。
本条に違反した者は、第94条によって、1年以下の懲役及び/又は50万円以下の罰金に処せられます。国外犯にも適用されます。
本条は、特許庁の第一次審査が迂回されることを封じるために必要な規定です。ただし、本条の対象となる発明をした発明者が、自分の発明が本条の対象となる発明に当たるとは思わずに外国出願をすることまでは止められません。
そのようなケースを止めるためには、過失犯を罰する規定を設ける必要がありますが、それはさすがに行き過ぎだと判断されたのでしょう。しかし、今後、日本を取り巻く経済安全保障環境がさらに悪化した場合には検討に値すると思います。前述の「実施」や「開示」の禁止違反についても同様です。
■第5章:第79条(外国出願の禁止に関する事前確認)
第79条は、外国出願禁止の対象となりうる発明を外国出願しようとする者が、その発明を特許庁に出願するかわりに、特許庁に対してその発明が外国出願禁止の対象となる発明かどうかの確認を求めることができる旨を規定しています。
そして、特許庁はこの確認の求めに対して遅滞なく回答しなければなりません。同条第5項はその手数料を2万5000円と規定しています。通常の特許出願の手数料である1万4000円に比べて1万円以上高くつきますが、その分、早く結果がわかるというメリットがあります。
今後、機微技術を取り扱う多くの企業にとって、発明の外国出願を計画する場合は、まず特許庁に出願するか事前確認を求めるかのどちらかを、前広に行うことが必須となるでしょう。仮にどちらもせずに外国出願をしても、前述の通り、あくまで過失だったと言い張れば罰則を免れることは可能かもしれませんが、そんなことすれば自らの社会的信用を著しく損なうだろうからです。
■第5章:第80条(損失の補償)
第80条は、保全指定を受けたことによる損失について、国が補償する旨を規定しています。
補償がカバーする範囲は「通常生ずべき損失」とのみ規定されており、具体的な金額は請求に応じて内閣府が決定することになります。
この額に不服な場合は、増額を裁判所に訴えることができますが、そのような訴訟があまりに多く発生するようであれば、企業はそもそも機微技術の開発に及び腰になるでしょう。
そうならないために、内閣府により決定される補償額は十分以上のものであることが望まれます。そのために、政府は内閣府への十分以上の予算措置を講ずることが重要です。
■第5章:第81条(後願者の通常実施権)
第81条は、保全対象発明が特許法29条の2の規定に抵触して特許を受けられなかった場合に、出願人に対して通常実施権を認める、という救済規定です。
特許法第29条の2の規定は長く複雑で説明が難しいのですが、あえて簡単に言えば、「後願後に出願公開された先願の明細書に記載された発明と同一の後願発明は、特許を受けられない」とする規定です。
続く第82条にも、特許法第41条の優先権主張の規定等について、本法の保全指定制度との整合をとるための特例規定が設けられています。
■第5章:第83条(勧告及び改善命令)
第83条は、第75条(保全対象発明の適正管理措置)に違反した者に対して、内閣府が勧告をし、これに応じない場合は命令を発することができる旨を規定しています。
本条の命令に違反した者には、第92条第1項によって、2年以下の懲役及び/又は100万円以下の罰金が課せられます。
続く第84条は、保全対象発明の出願人及び発明共有事業者に対し、内閣府が報告徴収及び立入検査をすることができる旨を規定しています。
さらに第85条は、本章の手続に関して送達する書類は省令で定め、送達の方法は特許法の規定を準用する旨の規定です。
■第5章の施行期日は最長、企業は今のうちに新制度の理解と万全な準備を!
第5章の施行期日は、「公布の日から起算して2年を超えない範囲内において政令で定める日」(附則第1条)です。第2章の9か月、第3章の1年6か月、第4章の9か月に比べて、第5章は最も長く設定されています。第5章を施行するには、特許庁及び内閣府における審査体制の整備やシステムの構築に比較的長い準備期間を要するからだと思われます。
企業側は、この2年間の猶予期間を利用して新制度の理解と準備を万全に整える必要があります。また、施行までの2年間においても、日本の経済安全保障環境を損なうような特許出願や外国出願を自制すべきことは言うまでもないでしょう。
■次回の講座について
今回をもって、経済安全保障法が創設する4つの制度についての解説が終わりました。次回は、条文解説の締めくくりとして、第6章「雑則」、第7章「罰則」及び「附則」について解説します。これらは法律のオマケのようにも見えますが、実は法律の運用上極めて重要な事項が規定されていることが多いのです。
また、おそらくその頃には、経済安全保障法の第1章に基づく全体的な基本方針や、第2章から第5章までの各制度の基本指針が、政府によって順次公表されていることと思われます。次回以降、それらについても解説を試みます。
あわせて、これまで同様、経済安全保障を巡る国内外の情勢についても必要に応じフォローしたいと思います。
BIP株式会社は、「企業様と共に事業開発・経営改善に取り組み、第2・第3の成長を創るパートナー」であることをビジョンとしています。この講座では「経済安全保障」に関して、企業経営者自らの大胆な決断に結びつけるお手伝いができることを目指して連載を進めます。
以上
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児嶋 秀平(こじま しゅうへい)
弁理士 経済安全保障コンサルタント
このミニ講座では、急速にクローズアップされている「経済安全保障」を巡る法律の立案と関連する動向、それが企業に与えるであろうインパクト等について、私見を交えつつご説明していきたいと思います。
私は現在、知的財産の専門家である弁理士として特許事務所を経営しています。弁理士になる前は、国家公務員として経済産業省、中小企業庁、資源エネルギー庁、警察庁、外務省、内閣官房等で30年間勤務しました。多様な経験を活かして企業の皆様に貢献したいと思っています。
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