2020/03/11 「フィリピン スービックだより」第15回 私のミニ履歴書(1)~英語とのかかわり~
こんにちは。BIPコンサルタントの中沢です。
2018/2/1の第1回からちょうど2年、その間14のコラムを掲載してまいりました。フィリピンのスービックという、間違いなくマイナーな場所での出来事を、どちらかと言いますとちょっとした息抜きになれば、という思いで書いてきました。
連載3年目、今後はよりサービスにフォーカスします。「海外進出・海外ビジネス支援・グローバル人材開発」。海外と積極的にお付き合いしていこうとされている方にメッセージを伝えていけたらと思っています。引き続き、よろしくお願いいたします。
(市主催のセミナーにてオロンガポ市長と)
■英語と縁のない世界で
まずは今回、改めて私の経歴を書いてみたいと思います。もともと半導体の技術者であった私がなぜフィリピンで語学学校などをやっているのか。これから改めて私たちの提供するサービスを紹介していくにあたり、どんな人間がどんな考えでそれを生業としているのか?は大事だと思います。失敗も当然たくさんあり、それを後には自虐ネタ(笑)として楽しく語りながら肥やしとし、また次にチャレンジしていく。そんな姿に共感して周りが応援してくれる。これは、フィリピンとて、海外とて同じなのだ、そのように感じながら異国の地で日々頑張っています。
私は1985年に大学を卒業し、半導体の技術者となりました。当時は本当にいいタイミングでした。私は就職活動というものをする必要がありませんでした。成績はクラスで下位10%でしたが、手を上げれば推薦してもらえ、試験も面接もありましたが、ふたを開けてみれば、学卒全員が採用されていました。そういう年だったのです。
英語との関わりを少々。高校1年生までは科目としての英語が好きでした。ところが高校2年生で英語の先生が担任となります。どうしてもソリが合わず、まさに若気のいたり、英語なんて!と思ってしまい、成績は落ちる一方、当時は大学入試に「共通一次試験」というものがあったのですが、本番の英語の点数はそれまでの模試を含めて最低でした。大学は、二次試験に英語がない大学を選び、大学の4年間、一つの英語フレーズも発話した覚えがありません(笑)。
会社に入った当時は、飛行機も乗ったことがない、つまり海外に一度も行ったことがなく、新婚旅行が初の海外でした。初めての飛行機を前にして、あまりの緊張で成田空港で15回もトイレに行きました。「成田(出発前)離婚」されなくてよかったわね!と今でも家内に言われる始末です。
■海外に目が向いた
そんな私でしたが、某ミーハー雑誌を読んで、英語が喋れた方がかっこいいな!と思ったんですね。そういえば隣の海外事業の担当者はなんだかかっこいいな!と。それからラジオ英会話を聞くようになりました。当時はSonyのWalkman。ワイヤレスイヤホンタイプ含めて何台も使い、通勤時に聞きました。
有志が集まって開かれていた工場の英会話にも参加するようになり、だんだんと英語がまた楽しくなりました。会社の英語研修にも行かせてもらい、アメリカで2ヶ月の語学+2ヶ月の現地法人実習を経験しました。
この時の経験が今の英語プログラムに反映されていると思っています。当時のグループレッスンとは逆の、フィリピンならではのマンツーマンレッスンの有用性をよく認識して提供し、そして実践英語を学ぶインターンシッププログラムは、この現地法人実習の経験がトリガになっています。まさにスティーブ・ジョブズの言う、「コネクティングドッツ(過去に打ち込んだことが、将来、点と点でつながる)」を感じます。そして年1回の社内異動希望届には、「海外駐在」と書くようになりました。身の程知らずでしたね……。
(コロラドの語学学校にて)
この社内異動希望届の結果は海外ではなく、北九州工場勤務というオチに笑うこととなります。グローバルどころかドメドメではないかと。ところがここでの経験がまた為になりました。当時、いわゆるヤンキー上がりの方に自分の試作品を作っていただく必要があったのですが、まさに人と人との付き合いを学んだ思いです。何度も怒鳴られながら、自分をわかってもらえたと思った後はすごく親身にサポートしてもらいました。ここでの経験も、のちにフィリピンに来て担当することとなった工場マネジメントに活かされたと思っています。日本人もフィリピン人も、根っこは一緒なんだなと。
そして、何年かしてアメリカ駐在の機会をいただきました。いわゆるシリコンバレーです。私生活は最高でした。3番目の子供は現地で生まれましたが、私がへその緒を切りました。当たり前ですが、二度とない経験でした。個人的には海外(日本以外という意味で)でも暮らしていけるという自信を大いにもらいました。そして、刺激的だったのは、社会人対象に教育の機会を提供する大学のExtensionというプログラム。UC Extension (University of California)の講座をいくつか受講しました。20名くらいのクラスで日本人は2人くらいだったと思います。同じアジア勢の台湾の人がガンガン発言し、グループワークでもリードしているのに、自分は……という挫折感を味わい、これはかっこ悪いぞ!と思っていたことを覚えています。
よく言われますが、やはり行間は読んでくれないし、言わなくてもわかってもらえるという世界ではありませんでした。その意味で、ツールとしての英語はやはり大事だと思いました。その台湾某氏も決して発音がNativeっぽいとかではないのです。でも議論をリードし、自分のやりたいことを周りに伝えていける。パッションが伝わる。こうなりたいと思ったものです。そして、この時の考え方は今の英語トレーニングにも通じています。英語「で」何をするかが重要、そのためのツールなんですよね。
帰国してからは技術営業、そして企画部門と仕事が変わりました。この頃はよく海外出張にも出してもらいました。東南アジアも結構行きましたが、フィリピンだけはいく機会がありませんでした。このころ、将来そのフィリピンにどっぷりになるとは思いもしなかったわけですが。
企画部門の時に経営が勉強したくなり、年齢制限を無視して会社の募集に無理やり応募し、オンラインで経営学を学びました。この時は人生で一番勉強した時期でした。科目の半分は英語での学習。必死でした。
(MBA授与式にて)
後半へつづく……
スービックについて
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中沢 宏行(なかざわ ひろゆき)
コンサルタント(海外進出・海外ビジネス支援、人材育成研修・組織マネジメント)
フィリピンのスービックにて語学学校事業を中心に活動中の中沢が、現地の実情や海外ビジネス支援、語学・企業研修についてのコラムを開始。
海外進出や海外ビジネスに興味のある方、語学研修や海外企業研修をご検討の方に役立つ情報を発信していきます。
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