2022/10/27 人への投資・人的資本を考える(3)人材の多様性活用の重要性
前回、「人的資本可視化指針」(案)に関する意見募集のことを書きましたが、2022年8月30日に意見招請の結果を踏まえた正式版(併せて、付録<開示事項例、用語の定義・注釈、国際的な開示基準の概要>と、パブリックコメントの結果)が開示されました。 内閣官房サイト: 「人的資本可視化指針」(案)に対するパブリックコメントの結果の公示及び同指針の策定について https://www.cas.go.jp/jp/houdou/20220830jintekisihon.html 今回は国際的な開示基準の詳細な情報などの付録が充実しており、人的資本に関する情報の可視化の準備をする部署の方々には大変参考になります。 |
さて、今回は人への投資・人的資本に関してコーポレートガバナンス・コードを読み解く第一回目です。
上記の通り「人的資本可視化指針」が提示されて、金融庁でも情報開示のルール化が進んでおり、人的資本に関する企業の情報開示は一気に進んでいくと思われます。
しかし、企業経営の現場の視点ではルールへの適合に気を配るだけでなく、市場の構造や産業の要素技術や競争のルールが大きく変わっていく中で、これからの人的資本に対する戦略を根本的に改革することが必要になっています。
今回は、その中で人材の多様性の確保と活用について考えます。
最初に企業にとっての人材の多様性はなぜ必要なのかを確認します(特に企業の成長が停滞している時)。その上で、これまで事業構造改革に取り組んだ日本の企業がどのように人材の多様性の実現と活用に取り組んだかを見ていきます。
【PDF】(株)東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード」(2021年6月)
https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008jdy-att/nlsgeu000005lnul.pdf
目 次
■コーポレートガバナンス・コードは企業内人材の多様性に注目する
前々回のミニ講座で、コーポレートガバナンス・コードには人的資本に関して3つの重要なポイントがあり、そのひとつに人材の多様性があることを書きました。
1、人材の多様性確保
2、重役(取締役・監査役)の育成
3、人的投資の情報開示
コーポレートガバナンス・コードでは、人材の多様性に関する記載が次の3つの原則の中にあります。
【原則2-4.女性の活躍促進を含む社内の多様性の確保】
ここでは社内人材の多様性の確保が重要であるとし、その中の補充原則2-4①で、中核人材の登用等における多様性の確保と、多様性の確保に向けた人材育成方針と社内環境整備方針の開示を求めています。
【原則4-10.任意の仕組みの活用】
ここでは各種委員会の役割を示し、補充原則4-10①では、指名委員会・報酬諮問委員会(任意の仕組み)は人材(取締役など)の多様性に関しても関与・助言すべきとしてあります。
【原則4-11.取締役会・監査役会の実効性確保のための前提条件】
ここでは取締役会の構成は、ジェンダーや国際性・職歴・年齢などの多様性と適正規模を両立すべきとし、補充原則4-11①では、取締役の選任に関する方針・手続きの開示を求めています。
原則2では中核人材を含む社員の多様性に注目し、原則4では取締役会メンバーの多様性に注目していますが、その基本は「社内に異なる経験・技能・属性を反映した多様な視点や価値観が存在することは、会社の持続的な成長を確保する上での強みとなり得る」との認識に立っています。
では、人材の多様性がなぜ企業価値の向上のために期待されるのか?をまず考えてみましょう。
■人材の多様性はなぜ企業価値の向上に役立つか?
企業の成長が止まり変化の少ない期間が長くなると、次第に過去の成功体験やOJTなどを通して過去の知識だけを共有するようになり、新しい社員も含めて多くの社員が今ある企業文化に「適応」しようとするようになります。
そして、同じ意見の者同士でコミュニケーションを繰り返し、特定の考え方が強化され、気づかないうちにそれが偏見や固定観念となってしまい(クローン集団化)、組織全体で組織の課題が見え難くなると言われています。
これに対して、人材の多様性があり、その多様性を活かすことのできる組織には、<課題を見つけ出す力>と<新しいアイデアを生み出す力>があると言われています。
<課題を見つけ出す力>
皆が同じ観点でしかものを考えられなくなった時も、異なる経歴、異なる体験、異なるバックグランド、異なる見識、異なる視点を持つ人が入ればそれぞれの価値基準から、組織全体で見えなくなっている組織の課題を明らかにすることができます。
<新しいアイデアを生み出す力>
解決すべき組織の課題がある程度見えてきた時は、多様な人材が持ち込む解決のための多様なアイデアも貴重なものですが、多様な人材が集まる場で互いに刺激し合って生み出してくれる新しいアイデアの力(集合が生み出す知:Collective Intelligence)は、変革を目指す企業にとってはさらに重要です。
多様性は停滞を乗り越えて組織の改革と持続可能性を生み出す仕掛けなのです。
企業経営の戦略的課題や、成長に向けた戦略転換の問題のように複雑な課題の解決のためには、経営者は多様な人材を集め、人材の多様性が持つ二つの力を活かせる場を作り出すことが重要です。
■構造改革に成功した日本企業は人材の多様性を活かしている
日本企業で成長に向けた事業構造改革に成功した事例には、中核人材や取締役会メンバーの多様性をいろいろな形で活用した事例が多く見られます。
そもそも国内の人材市場は今どのような状況にあるのでしょうか?そして成功事例では、どんな活用方法で、それぞれの課題を解決してきているのでしょうか?
ここからは、日本の企業が事業構造改革に向けて人材の多様化に取り組んだ具体的な工夫を見ていきましょう。■事例:歴史ある大企業が単一性に傾かないよう人材の多様性を確保
企業が新しい事業を生み出すために、<両利きの経営>※として、既存の事業部門とともに、既存の事業部門から独立しトップに直属するような組織を置くことの重要性が認知されてきています。これは、単一性に傾きやすい大企業の中で人材の多様性を守る壁を作る仕組みだと考えられます。
また、企業が構造的な不採算事業構造に陥ったときに、事業転換と新規事業開拓のために多様な人材を集めて新しいチームを作った企業は多くあります。
※両利きの経営・・・・・・成熟した企業がイノベーションを創出するには、既存の知の深堀りと新規の知の探索を高次元で両立させることが重要であるとする経営理論。スタンフォード大学経営大学院チャールズ・A・オライリー教授が提唱。
ブラザー工業では、エレクトロニクス産業に事業構造を転換するとき、社長直下に若手社員だけの改革議論の場を立ち上げました。
富士フィルム(旧:富士写真フィルム)では、フィルム中心の事業からの脱却を迫られた時、人材の多様性のために大きな投資をしました。大学への研究者の派遣、別分野企業からの優秀な技術者のヘッドハント、分散していた研究所を一ヶ所に集めて技術資産の棚卸と融合、M&Aで新しい技術と人材を集めるなど様々な手法が駆使されています。
■事例:グループガバナンス強化で人材の流動化・多様化を促進
国内では企業のグループガバナンス強化の流れは今後も広がっていくと考えられます。グループガバナンスの観点から事業譲渡やM&Aが企業構造改革の一環として広がっていくと、これに伴う人材を受け入れる企業にも人材の多様化をもたらします。
また、日本のバブル崩壊以降多くの企業で行われた早期退職による転職は、日本の人材市場を流動化する大きな力となりました。そして最近の新技術・新製品の紹介記事を見ると、このような転職人材が転職先企業で活躍し、新技術・新製品などの創出に貢献している例を多く目にするようになりました。
日本電産のM&A戦略による成長や、アイリスオーヤマの中途採用技術者の活躍などに、多様な人材が新しい環境の中で力を生み出していることを見ることができます。
■事例:加速する人材の流動性に対応し、長寿企業も人事制度を見直し始めている
国内の新しい企業では人材の流動性が当たり前になってきています。
いま日本で人材の流動性を加速させている要因は何でしょうか?
日本では1990年代以降に設立された新しい企業では特に人材の流動性が高く、これらの企業では人材を惹きつけ、人材を保持するための施策が発達して定着しているようです。このような企業が日本の人材市場を動かし始めています。
また、海外に本社を置くコンサルティング企業や外資系金融業界、そしてGAFAMに代表される世界的先進企業の日本法人などでも、優秀な人材の新陳代謝が速く、日本の人材市場の流動性を加速させています。
その中で人材の流動性の低い日本の長寿命企業でも、優秀な人材の獲得のためにはこのような企業と人材獲得競争をしなければいけなくなっています。
最近では、NTTやパナソニックなどの巨大企業で本格的な人事制度の見直しが始まっていて、人材市場の流動性に真剣に取り組み始めていると考えられます。その結果、これらの企業の中でも人材の多様化が進むでしょう。
■事例:グループ企業で経営人材を育成し経験の多様性を作り込んでいる
最近は、経営トップ人材へのキャリアパスとしてグループ企業での経営経験を積ませる企業が多く出てきています。また、親会社の経営者の選任にグループ企業での経営経験を重視する流れも出てきています。
どちらも経営者の経験の多様性を作り込む仕組みの一つと考えられます。
先行的には、商社が有能な社員を投資先企業に社長として派遣して、経営者として育成しています。
また、日立製作所やソニーの大胆な構造改革を進めた社長が子会社(特に海外子会社)の経営経験者であることもよく知られており、制度的に若手の経営者候補を子会社で経営者として育成する仕組みを作り込む企業も増えてきています。
グループ企業が持つ経営人材育成の力は次回のミニ講座でも検討を進めていきます。
■事例:企業の改革をプロフェッショナル人材に託す
企業改革に携わる経営人材も多様化してきています。最近は、ジョブ型のプロフェッショナル人材が経営の現場でも活躍するようになっています。大企業の経営経験者や、コンサルタント人材や機関投資家出身者が企業改革に直接携わるケースも多くなっています。
カゴメの人事担当役員は外部出身者ですが、経営トップの強力なバックアップのもとで抜本的な人事制度の改革を進めています。
また、コーポレートガバナンス・コード制定の成果としてここ数年取締役会のメンバー構成が大きく変化し、プライム市場では社外取締役の比率が3分の1を越える企業が90%以上となりました。彼らは経営人材の多様化の効果を企業経営にもたらしていくでしょう。
取締役メンバーの多様化を支援するために、大企業経営者や金融機関出身者などを中心に社外取締役の人材プール作りも官民それぞれに進んでいます。
■今こそ人への投資を!必要なのは経営層の明確な意志と持続的な投資・支援
以上に見てきたように、国内の人材市場の流動化は今ここに動いている大きな流れであり、今こそ企業はこの流動化を人材の多様化のチャンスと捉えて、戦略的に社内体制の整備に取り組み、多様性を持つ人材が活躍できる体制と仕組みを構築すべきときでしょう。
しかし人材の多様性を活かすにはコストと時間がかかります。人材の流動性の低い組織から人材の多様性を受け入れる組織に転換するには、人材の流動性に合わせた体制への作り替えが必要で、人事評価制度などの規則の改革、新しい教育の仕組み作り、新しく迎えた人材を維持するための仕組み作り、など多くの改革の努力と時間が必要になります。
また、社内の人材の多様性を活かすには、ジェンダーや人種などの人口統計学的多様性の実現にとどまらず、ものの見方や考え方まで踏み込んだ認知的多様性を受け入れて活用する風土まで作らないと効果が出ない(あるいはマイナス効果になる)と言われています。
これらのコストこそ人材への投資という戦略であり、これを支える経営層の明確な意志と、長期にわたる持続的な投資と支援を必要とします。
一般的に人材の多様性の議論では、ジェンダーや人種など口統計学的多様性の議論が前面に出てくることが多いのですが、ここではあえて広い意味での人材の多様性の重要性に注目して検討してきました。
次回は、コーポレートガバナンス・コードの人的資本に関する三つの重要なポイントの二つ目として<経営人材の育成投資>について考察します。
以上
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浅井 裕(あさい ゆたか)
コンサルタント(経営戦略策定と実行支援、経営管理の企画と実行支援)
私は、上場企業役員及び子会社2社の社長を務めた後、国立大学法人の監事として働きました。その間組織のガバナンスのあり方を考え、今はBIPの中で「社外取締役・コーポレートガバナンス」研究開発部会を主査しております。このミニ講座では「攻めのガバナンス」を話題の中心に据え、企業経営者自らの大胆な決断に結びつけるお手伝いができることを目指し、コーポレートガバナンス・グループガバナンスについての情報を発信していきます。
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