2022/07/15 人への投資・人的資本を考える(1)
前回まで、「企業グループと事業ポートフォリオのマネジメント」についてお話してきました。
今回から数回は、最近新聞などでも大きく報道されている、人への投資・人的資本について考えていきます。
目 次
■人への投資=企業価値を生み出す人的資産への投資
人への投資と言ったとき、どのようなことを思い浮かべるでしょうか?
財務諸表の中では損益計算書で人件費などの「費用」として処理されてしまいます。しかし人への投資とは単なる費用についての話ではありません。
人的資本への投資の議論は「これは費用ではなく投資であり、投資の成果が人的資産として企業内に残り、人的資産が企業の価値を生み出している」と見るところから始まります。
人への投資は建物や設備のような有形固定資産への投資とは違い、投資がどれだけ資産として残るのかを定量的に示すことは難しく、また、蓄積された人的資産がどれだけ収益を生み出しているかも定量的に示すことは難しいものです。
それにもかかわらず、人的資本の議論が盛り上がってきているのは、人が生み出す無形のものが膨大な企業価値を生み出すようになっていると認識されているからです。人が生み出す無形のものとは、ソフトウェアやサービスやデータやアルゴリズムやビジネスモデルや科学的知見・専門的知見などです。
人的資本の議論は非常に幅広く、たとえば人的投資の情報公開に関するISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)には11の開示領域を設定し、49の開示項目を具体的に定めています。
ここではその広い領域をそのままカバーするのではなく、これまでのミニ講座の流れに沿って「攻めのガバナンス」の観点で、コーポレートガバナンスとグループガバナンスの中で人への投資・人的資本を考えていきます。
今回は第一回として注目するテーマを拾い出し、次回以降ひとつひとつを考察していきます。
■コーポレートガバナンスでのポイントは多様性確保・重役育成・人的投資の情報開示
コーポレートガバナンス・コードの中で人材や人的資本に言及している箇所を見ていきましょう。コーポレートガバナンスの中で人的資本に関しては三つの重要なポイントがあります。
引用元:【PDF】「コーポレートガバナンス・コード」(2021年改訂版)東京証券取引所
https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008jdy-att/nlsgeu000005lnul.pdf
一つは、人材の多様性が企業の持続的成長の源泉であることです。
- 「女性・外国人・中途採用者の管理職への登用等、中核人材の登用等における多様性の確保についての考え方と自主的かつ測定可能な目標を示すとともに、その状況を開示すべきである。」
- 「多様性の確保に向けた人材育成方針と社内環境整備方針をその実施状況と併せて開示すべきである。」
- 【原則2-4.女性の活躍促進を含む社内の多様性の確保】
補充原則2-4①〔多様性の確保についての目標の提示と状況の開示〕
性別・国籍・人種・年齢などの目に見える属性の多様性だけでなく、知識や能力、経験など、社員の多様性の確保はこれまでの人事制度の骨組みの改革に関わることであり、これまでとは異なる制度改革への投資が必要でしょう。
二つめは、取締役・監査役が役割・責務を適切に果たすにはトレーニングが必要であることです。
- 「新任者をはじめとする取締役・監査役は、上場会社の重要な統治機関の一翼を担う者として期待される役割・責務を適切に果たすため、その役割・責務に係る理解を深めるとともに、必要な知識の習得や適切な更新等の研鑽に努めるべきである。」
- 「上場会社は、個々の取締役・監査役に適合したトレーニングの機会の提供・斡旋やその費用の支援を行うべき」
- 【原則4-14.取締役・監査役のトレーニング】
取締役というポジションを事業責任者の上がりポジションとするのではなくプロの経営者として位置付けて、活躍できるように教育されるべきです。
補充原則4-11①〔取締役のスキルマトリクスの開示〕、補充原則4-11③〔各取締役の自己評価・取締役会全体の実効性について分析・評価〕、補充原則4-1③〔最高経営責任者(CEO)等の後継者計画(プランニング)の策定・運用と後継者候補の育成〕などと連動して、経営者は教育を通して作り上げるべきものだという観点に立って、若手経営者とその候補者の育成・教育のための投資に取り組むことが必要でしょう。
三つめは、人的資本や知的財産への投資等が企業の持続的成長の源泉であることです。
- 「上場会社は、人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである。」
- 【原則3-1.情報開示の充実】
補充原則3-1③〔人的資本や知的財産への投資等についての情報開示・提供〕
人的資本の情報開示については、投資家やその他のステークホルダーの関心も高く、非財務情報の情報開示の一部である人的資本の情報開示は世界の様々な基準設定団体等が開示の枠組み・基準を策定しており、一部では開示が始まっています。
国内では、先進的企業が基準設定団体の動向を参考にしながら、情報開示に取り組み始めている状況です。
■グループガバナンスでは経営人材育成を重要視
一方、「グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針(グループガイドライン)」ではどのような人への投資を重要としているでしょうか?
引用元:【PDF】「グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針(グループガイドライン)」(2019年)経済産業省
https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008jdy-att/nlsgeu000005lnul.pdf
グループガバナンスにおけるポイントは、グループとしての経営陣の人材育成です。
- 「グループ全体として一定レベル以上のポスト・人材を選定し、評価・選抜を行う仕組みを構築し、将来の経営人材計画的育成を行うことが検討されるべきである。」
- 【5 子会社経営陣の指名・報酬の在り方】
5.3.2 グループとしての経営陣の人材育成・人事管理の在り方
- 「グループとしての社長・CEO等の後継者計画の一環として、“タフ・アサインメント“の対象として子会社の経営陣ポスト(特に社長・CEO)を積極的に活用することも有効である。」
- 【5 子会社経営陣の指名・報酬の在り方】
5.3.1 グループとしての社長・CEO 等の後継者計画の在り方
グループ経営の大きな柱のひとつが、グループ本社の経営者およびグループ企業の経営者の育成であり、事業ポートフォリオの改革にも経営者の役割が重要です。人事制度の構築や教育プログラムなどこれまでとは異なる新しい投資が必要であると考えられます。
- 人材の多様性が企業の持続的成長の源泉であること
- 取締役・監査役が役割・責務を適切に果たすにはトレーニングが必要であること
- 人的資本や知的財産への投資等が企業の持続的成長の源泉であること
- グループとしての経営陣の人材育成
次回以降に以上の4つの点に関して考察を進めていきますが、最初に世界の人的資本への情報開示の検討状況を概観し、それらの状況と関連付けながら考察を進めていきます。
■今年から来年「人的投資」は正面から取り組むべきテーマになりそう
最近は、財務諸表だけで企業の価値、特に将来価値を評価することは難しい、と認識されています。
1980年代から1990年代にかけてソフトウェアとネットワーク、そしてそれを利用したサービスを生業とする企業が急速に成長して、その後GAFAMに代表される巨大な時価総額を持つ企業に育ってきました。この分野の企業には、財務諸表に表れる資産の大きさだけでは企業の価値を説明できにくい傾向があります。このため投資家は、財務諸表には現れない無形資産の情報や経営の方針などといった、企業価値を支える情報の開示を要求するようになってきました。
これと並行して、ESG(環境・社会・ガバナンス)への取り組みが重大なリスク管理の一環になると同時に、事業方針の決定要因にもなるとの認識が、投資家にもその他のステークホルダーにも広まり、企業はその取り組みを明示的に示すことを期待されるようになりました。
人的資本という言葉は、なんとなくわかった気になるのに、「そもそも何?」と考えると捉えどころのない言葉のように感じられます。しかし、この「人的資本」は今年から来年にかけて各企業が正面から取り組まなければいけないテーマになりそうです。
以上
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浅井 裕(あさい ゆたか)
コンサルタント(経営戦略策定と実行支援、経営管理の企画と実行支援)
私は、上場企業役員及び子会社2社の社長を務めた後、国立大学法人の監事として働きました。その間組織のガバナンスのあり方を考え、今はBIPの中で「社外取締役・コーポレートガバナンス」研究開発部会を主査しております。このミニ講座では「攻めのガバナンス」を話題の中心に据え、企業経営者自らの大胆な決断に結びつけるお手伝いができることを目指し、コーポレートガバナンス・グループガバナンスについての情報を発信していきます。
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