佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション
2012/06/11 危機時のリーダー:「最大被災地」石巻圏22万人の医療崩壊を救った外科医
あなたも危機時のリーダーになるかもしれない!災害はいつどこで起こっても不思議ではない。再び石巻を取り上げたいと思った。宮城県石巻圏は、東日本大震災における東北最大の被災地である。極限状況の中で、石巻圏22万人の医療崩壊を救った危機時のリーダーがいた。
石巻日赤病院外科医で宮城県災害医療コーディネーターである石井正医師の7ケ月にわたる壮絶な全記録が公開されている。石井正『東日本大震災 石巻災害医療の全記録』(ブルーバックス 参考文献1)である。私は3月に読んでいたく感動し、学ぶことが多かった。
今回、エッセイで取り上げたいと思ったのは、先週BIP事務所に届いた定期購読誌『致知』7月号で石井正医師インタビュー「被災地・石巻を救った外科医の信念」を読んだからである。石井先生の言葉に故郷東北人として強く胸を刺された。
「いま心配なのは、被災地が世間から忘れられつつあるのではないかということです。・・(略)・・地元はまだ復興の真っ最中ですよ。」
何よりも、『致致』7月号のテーマ「将の資格」という観点で考え直した時、首都圏直下型大地震、中南海大地震など今回未体験であるが、「次」に備える我々自身の課題ではないかと考えたからです。生きた教本として、医療関係者だけでなく家長、民間リーダー、立法・行政、学識者必携と思われます。
(1)災害時リーダーの実体験――災害医療は通常の臨床医療とは著しく異なる
石井正医師は石巻赤十字病院に勤務する平凡な外科医でした。たまたま災害を担当する部署「医療社会事業部」の部長となった。そのためか、2011年2月に宮城県知事から「災害医療コーディネーター」を委嘱されたばかりであった。その直後3月に、石巻圏は5000名近い命が奪われ東日本最大の被災地となった。
石井医師は、『東日本大震災 石巻災害医療の全記録』の冒頭で、災害医療は通常の臨床医療と著しく異なると述べ、「東日本大震災による石巻医療圏の医療崩壊」という最悪のシナリオを回避した3点を端的に次のように指摘しています。
「1.石巻医療圏に駆けつけたのべ3633の医療救護チーム、約1万5000人を一つに組織して“オールジャパンチーム”ともいうべき「石巻圏合同救護チーム」を立ち上げ、統括した。
2.約300ケ所に及ぶ避難所から継続的に情報収集して、極限状況下でのさまざまな医療ニーズに応えながら、ときには「医療」の範囲を超えた活動まで展開した。
3.災害直後の「急性期」を過ぎて「慢性期」に入ってからは、打撃を受けた地元医療機関が再生するまで医療支援を継続し、地元医療にスムーズに引き継げるように努めた。」(参考文献1)
一言で語ってはいけないと思うので、災害医療の現実をまず知って頂くために目次詳細を記します。下手な解説よりも読んで頂ければ、災害時に実行すべき課題が明白となると思いました。
第1章 発災
発生直後/孤立無援/わずかだった当日の急患数/相次ぐ「想定外」/東北大学病院の英断/発災当日の「失敗」/300ケ所・5万人のリスト
第2章 備え
2007年、医療社会事業部長に就任/「阪神・淡路」の反省から生まれたDMAT/DMATに圧倒される/理想は「江口鶴瓶」/「日赤DMAT」の誕生/行政との連携/「顔が見えるネットワーク」の確立/ヘリと連携した大規模訓練/酒場で生まれた民間企業との協定/災害医療コーディネーターになる
第3章 避難所ローラー
状況不明の300ヵ所/アセスメントシートの「進化」/劣悪を極める衛生環境/チーム派遣をめぐる激論/眠っていた「新式トイレ」/難民キャンプの手洗い装置/「Google」の熱き志/「評論家」は必要ない
第4章 エリアとライン
石巻圏合同救護チーム/困難を極めたチームの割り振り/エリア・ライン制の確立/「エリア15」は「ショートステイベース」/現状に合わなければ「即変更」/エリア・ライン制のメリット/「われわれも何も食べていない」/動かなければ命は救えない/ボランティアのこと/欠かせない地元の医師たちの理解
第5章 協働
「日赤のチーム」ではなかった/全国から、地元からの支援/あらゆる「要望」に応える/放射線量をめぐる「温度差」/“医療者魂”を見た/行政には「低姿勢で」「具体的に」
第6章 人と組織
被災職員のために7000万円/救急搬送の無制限受け入れ/膨大な“薬難民”の発生/「中断不可薬セット」/「メロンパンチーム」の結成/コノミークラス症候群の危険/停電が命取りになる人たち/報道機関との「協働」/2つの新しい部署/大混乱を防いだ「クラークさん」/最も重要なロジスティック
第7章 取り残された地域
進む二極化、再津波の脅威/断念した「疎開プラン」/高台を探して/要介護者の問題/水がない、バスに乗れない/断られた診療所移設/「石巻合同救護チームからの提言」
第8章 フェードアウト
最後の課題/自立を支援する無料バス/窓口負担の「全面免除」/「無医地域」問題の解決/要介護被災者の新たな問題/すべての避難所を閉鎖/“誇り”を取り戻すために
(2)これからのリーダーのために――「次」への教訓
最後の終章を「「次」への教訓」として石井医師の実体験から導き出した教訓が記されています。自分は恵まれていた/長期の活動に耐えるしくみを/結集した「同胞愛」/「データ」「ブレーン」「ロジスティック」/リーダーは「地元」の人間に限る/先入観を排し、敬意を払う/判断は迅速に/「どんな要求にも」「柔軟に、臨機応援に」対応する/反省点と今後の課題/「災害救護シンクタンク構想」/女川原発の「被爆医療」
臨時の「石巻災害救護チーム」が大きな役割を果たせた要因を石井医師はこう述べています。
【第1は、「日本人の同志愛」】
全国から参集した救護チームに加え、大学・行政・消防・自衛隊・医師会・企業などすべての関係者が「同胞」を助けたいと損得抜きの行動をとった。日本人の「同胞愛」は未来への希望に繋がる。
【第2は、本部機能の維持~「データ」「ブレーン」「ロジスティック」】
膨大な事務作業と調整機能、すばやい意志決定機能など本部機能を維持できた。行政機関、地元医療機関もマヒする状況化で、あらゆる全国組織が専門家と必要物資を提供してくれた。いち早く民間との協定で情報手段、野外テントなどを確保できたこと含め地元及び全国的支援が本部機能を支えた。
【第3は、さまざまな組織との調整の顔~リーダーは地元がよい】
地元に受け入れてもらうのは、地元の「お医者さん」が役だったという。色々な組織との膨大な調整を瞬時にしなければならない。顔の見えるネットワークの重要性を語る。
最後に、本書解説を執筆している内藤万砂文医師(長岡赤十字病院救命救急センター長)の災害医療へのコメントを紹介します。
①仕事を医療に限定しない
②情報は自ら取りにいく
③実務者同士の「顔の見える関係」を
④災害医療は病院全体で取り組む
⑤被災地の医療者がリーダーシップを
⑥災害医療のエキスパートを活用すべし
⑦実践的な訓練やマニュアル作成が「備え」になる
少し私的なことを申し上げると、私にとっての石巻は、幼少時に夏の花火大会を楽しみに訪ねた叔母の住む思い出の地です。叔母は自宅2階まで津波が押し寄せ、2日間狭い空間の中で寒さと水の恐怖と戦い辛うじて救助されました。家族はバラバラで避難生活を余儀なくされています。
何とか昨年12月に石巻を訪ねることができた。(詳細は BIエッセイ2011/12/5 『2011年師走、未来に向かって/石巻:情報通信シンポ 仙台:光のページェント』) また、東北復興支援の一貫として、学生たちによる石巻地域への教育支援ボランティアTEDICを応援しています。(詳細はBIエッセイ2011/07/19 『BIPの東北復興支援活動をご紹介します』)
私は故郷東北人として何度でも発言し、災害予防の最大の敵である「忘却」「風化」と戦わねばならないという思いが強い。
また、それ以上に家長として、また民間企業のリーダーとして、関連する人々への防災の備えを常に考え実行する責任があると改めて感じた次第です。
(参考文献)
1.石井正『東日本大震災 石巻災害医療の全記録――「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7カ月』(ブルーバックス 2012年2月第1刷)
2.月刊誌『致知』2012年7月号(致知出版社)
3.佐々木昭美 BIエッセイ2011/12/5 『2011年師走、未来に向かって/石巻:情報通信シンポ 仙台:光のページェント』
4.佐々木昭美 BIエッセイ2011/05/23 『宮城県視察レポート(2)――日本未曾有の大震災であり、全国民、全産業、国・全自治体の持続的復興支援が必要です。』
5.佐々木昭美 BIエッセイ2011/07/19 BIエッセイ2011/07/19 『BIPの東北復興支援活動をご紹介します』
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佐々木 昭美(ささき あきよし)
取締役会長 総合研究所所長
経営コンサルタント(経営改善、事業開発、ビジネスモデル、 人事戦略、IPO、M&A、社外取締役)
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