佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション
2011/12/12 2011年を振り返り、しっかり記憶にとどめたい
12月中旬となり、2011年を振り返る時期となりましたね。
2011年は、私にとって生涯忘れられない年となりました。
我々は、1000年単位の宮城県沖太平洋岸大地震に見舞われた。その被害は、地震による倒壊、津波による沿岸部破壊、電源喪失による原発損傷など未曾有のものとなりました。
今年体験したこと、考えさせられたこと、記憶に残したいことを書き残す事は、意味があると思い、今年私が執筆してきたBIエッセイの記事を中心に振り返ります。
(1)「1000年単位」の自然災害~宮城県沖太平洋岸大地震
我々は、1000単位の大地震、大津波に見舞われた。産業技術総合研究所の津波堆積物調査によると、宮城県沖太平洋岸大地震で発生した津波浸水範囲は、貞観地震(869年)の浸水範囲と重なるという。(11日讀賣)
昨日、地震発生から9ケ月目を迎えた。12月10日現在警察庁調べては、死者1万5841人、行方不明者3493人、避難者は今なお約33万だという。その多くは、大津波による被害です。
【故郷宮城県の悲惨な災害現場を視察してわかったこと】
◆実際に見て実感できた沿岸部の未曾有の甚大な津波被害~国・自治体、全企業、全国民の復興支援必要
写真:名取市閖上地区 人の気配が全くない“津波更地”
今年、宮城県沿岸部を5月、9月、12月と3回訪ねました。
「1000年単位」の大津波の破壊力に強い衝撃を受けました。
5月、新幹線開通に合わせ故郷宮城県へ。仙台から名取川を越えて、沿岸部の名取市閖上地区に入った。警察と自衛隊の姿が目立つ。瓦礫撤去が進み、一部で瓦礫撤去作業する方以外、人の気配は全くない。5月21日、韓国、中国首脳もこの地を訪問しています。
瓦礫撤去が進んだ後、建物が何も残っていない事がはっきりと分かりました。公民館、学校等以外はすべて破壊され、流された。閖上小学校は3階まで浸水し、人々は4階に避難したそうです。この地域では、多くの犠牲者が出ました。太平洋戦争時の“焼け野原”という言葉がありますが、草木さえもない一面“津波更地”を何と称すればよいのだろうか。住んでいた方々の恐怖、無念、無常を思うと言葉がみつかりませんでした。
※詳細は・・・BIエッセイ2011/05/23 宮城県視察レポート(2)――日本未曾有の大震災であり、全国民、全産業、国・全自治体の持続的復興支援が必要です。
◆地震被害多い内陸部も激甚地帯-地震による被害特徴、復興、予防への視点が見えるてくる
宮城県の内陸部も地震の激甚地帯です。津波や原発報道中心で見過ごされている大地震の被害を改めて記します。
東北地方太平洋沖大地震が発生した3月11日は、雪の舞う寒い時期でした。内陸部の方々は、「命まで取られなかった」と言って、東北人らしく被害を敢えて言うのが憚られるという思いを持っており、黙々と少しずつ復旧を進めている様ですが、実相は激甚災害です。
① 家、事務所の全壊、半壊多数
② 東北道の橋破壊、道路は陥没、隆起が多い
③ 冬の停電は悲惨。暖房が困難
④ ガソリン不足で車で移動、運搬が困難だった
⑤ 上水の復旧に20日以上かかった
⑥ 都市ガス復旧の遅れ、プロパンの復旧は早かった
⑦ 下水がなかなか復旧せず、非常に深刻な問題
⑧ お寺の墓石はほとんど倒壊状態
・詳細は・・・BIエッセイ2011/05/16 ふるさと宮城県大崎市訪問レポート――『東北人の魂は耐えて、震えている』
【ささやかながら毎月続けた東北復興支援活動】
◆情報通信分野の視察・復興支援・研究交流
写真:野蒜(のびる)地区の破壊されたNTT局舎
私は、約20年インターネット関連事業にたずさわっていたこともあり、情報通信分野の視察、復興支援、研究交流活動を今も続けています。6月と7月仙台、12月石巻で開催された情報通信分野の復興支援会議に参加しました。
石巻の海岸附近にあるNTT野蒜通信局舎を視察した際、NTT東日本東北復興推進室の方からお話しを伺いました。東北地区局舎の380ケ所が被害を受けて、機能停止した。その20%が津波、80%が停電によるものだったそうです。
光サービスと携帯電話は、地域によって復旧状況に差が出たようです。通信ケーブルが切断された地域は、固定電話やインターネットに影響が出た。携帯電話は基地局が破壊された地域の復旧は遅れたが、それ以外は早かったそうです。
企業のサーバで、バックアップとっていない会社は今大変苦労しているという話を聞きました。中小企業が多い地域では、BCP対策はまだまだの印象を持ちました。行政の一部での役所が建物ごと破壊され、復旧に時間が相当かかっている自治体もありました。
12月には石巻市で、東北大学など主催、電子情報通信学会東京支部・同東北支部など共催の「創造的復興における情報通信の役割」シンポジウムが開催され、私も参加しました。
東北大学電気通信機構 安達文幸教授は、災害時に耐えると思われた無線ネットワークが途絶えたことを大変無念として、その5つの原因を述べました。
① 災害時大量トラフィックへの通信規制
② 無線チャネルの不足
③ 通信ケーブルの切断(携帯も、基幹ネットワークは有線ネットワーク中心であった)
④ 基地局電源喪失、バッテリー時間不足
⑤ 携帯電話の電源時間限界
そして、「壊れない、安全・安心な情報通信ネットワーク」による前向きな復興に向けて3つの研究・提言を紹介しました。
① 多層化のネットワークを構築する。
② 気象センサーネットワーク構築等によって農業・漁業の近代化に貢献する。
③ 津波センサーネットワーク構築等によって、津波予知や避難支援等をする。
※詳細は・・・BIエッセイ2011/12/5 2011年師走、未来に向かって/石巻:情報通信シンポ 仙台: 光のページェント
・BIエッセイ 2011/06/20 「MBB未来島日本」を東北から――「ICT復興支援国際会議」に参加して
◆BIPの東北復興支援活動~「共に」
BIPの復興支援テーマ
「世界に繋がり、働く喜び・学ぶ喜び・遊ぶ喜びに溢れた街づくりを!」
BIPは小さな会社ですが、「世界に繋がり、働く喜び・学ぶ喜び・遊ぶ喜びに溢れた街づくりを!」をテーマに継続した復興支援活動を続けています。「忘れないこと」が大事だと思います。
①石巻の子供教育支援ボランティア NPO TEDICを応援しています
②東北の笑顔溢れる文化・芸術活動を応援!
【「第21回定禅寺ストリートジャズフェスティバル」企業協賛』】
③東北地方自治体の中小企業・自営業・産業復興政策の自主財源を応援するために【「ふるさと納税」制度活用した寄付による支援方法のご紹介をしています。
※詳細は・・・BIエッセイ2011/07/19 BIPの東北復興支援活動をご紹介します
(2)心と行動の拠り所となった「三喜(働く喜び・学ぶ喜び・遊ぶ喜び)計画」
【災害時こそ、顧客満足のサービス継続】
大震災があっても、顧客へのサービスを提供し続けることが大事だと先頭に立って実践してきました。
以下具体的に今年BIPで実践した内容です。
◆顧客サービスを継続実践する。
①お世話になっている会社の東北支店を訪ね、詳しく状況確認しお話しを伺いました。
②3月16日に予定していた『事業リーダー実践塾』第5回講義は、1ヶ月延期し4月に開催する事ができました。
③お客様の災害復興支援、経営改善支援活動に協力しました。
◆社内役職員の安全とBCP(事業継続)対策充実
①自宅勤務可能なように通信確保とPCの配置
②オフィスは3日間生活できる災害必需品を充実
③非常時、各自の判断で避難する為の情報共有と手段の確認
【BI領域での毎月の研究会】
東北復興支援活動と並行し、毎月BI領域での研究会を継続する事を決断しました。
①社外講師を招き、毎月1回BI領域での事業ビジョンの研究
②生産性本部、IIBA日本支部の研究会に参加
③ベンチャー学会、組織学会、社外取締ネットワークの活動
※詳細は・・・BIエッセイ2011/11/28 京都:ベンチャー学会全国大会、永観堂の紅葉 大阪:国立民族学博物館
【心が押しつぶされそうな自分を支えてくれた趣味】
震災によって、美術館の特別展示や、コンサートなどイベント開催の中止、延期があい次ぎました。1月に立てた私の三喜計画の予定は、大きく変更せざる得ない状況となりましたが、可能な限り今年も趣味を楽しみました。趣味の時間は、故郷の悲惨な状況に接して、心が落ち着かない私の心を癒してくれました。夏のクロアチア・スロヴェニア旅行も楽しい思い出です。
思い返せば、昨年は西洋美術展ラッシュでしたね。今年は和系の鑑賞を中心に楽しみました。「ボストン美術館浮世絵名品展」『生誕100年 岡本太郎展』山種美術館『美しき日本の風景-川合玉堂・奥田元宋・東山魁夷』など。
写真:美術展での内覧会参加
写真:クロアチア・スロヴェニア夏期旅行
※詳細は・・・BIエッセイ
・2011/04/04 大震災に負けず、新年度スタート、『三喜計画(働く喜び、学ぶ喜び、遊ぶ喜び)』を!
・2011/08/29 三美体験!自然と文化歴史遺産に満ちた若い国クロアチア・スロヴェニア写真紀行
・2011/02/28 錦絵黄金時代の清長・歌麿・写楽初公開作品に満ちた「ボストン美術館浮世絵名品展」
・2011/04/11 生涯絶対に忘れられない『生誕100年 岡本太郎展』
・2011/07/04 日本画に魅了されました。必見!山種美術館『美しき日本の風景-川合玉堂・奥田元宋・東山魁夷』
(3)日本は複合危機に直面する「世界の未来島」-「3.11以後」へ考え、記憶し、立ち向かうべきこと
2011年、日本は世界で初めて大地震災害、大津波災害、原発災害という複合的自然災害に直面しています。しかも、少子高齢化、長期デフレ、1000兆円財政赤字、歴史的円高という待ったなしのマクロ経済の中で復興を進めねばなりません。
日本は、アジアはもとより世界の先頭を走る「未来島」だと信じています。
【「大地震という自然災害」にどう立ち向かうか
-今回の大震災は未曾有であり、自然災害に強い自助、共助、公助ネットワークを強化する】
個人も企業も、災害にもっと強くなるためには、自助、共助、公助の3つをそれぞれに強化する必要があります。特に自然災害は、個人では対応に限界があり、共助、公助のネットワークが必須です。
自助については考えることが色々あります。
耐震建築に住むことはもちろん、住む立地も大切な事を学びました。自家発電は震災時に生活機能を維持するためだけでなく、経済的にも電力ネットワークの将来について考える必要があります。スマートグリッド構想につながるPHV(プラグインハイブリッド)自動車が一気に広がるかもしれませんね。3日から1週間分の水、食料、簡易燃料等の準備は必要で、備えは可能です。震災に耐える経済力を持てるような職業人になることも大切でしょう。エコなライフスタイル、就業スタイルも工夫余地がありそうです。
共助の大切さも実感しました。
家族、親戚、友人の大事さ、絆や共同体という言葉が若者にも復活しました。当然ながら、経済的共助である保険の重要性は身に染みて感じた方が多いと思います。競争を超えて、業界復旧への支援も中越地震から一層各業界に広がりつつあります。ボランティアも阪神淡路震災以降に広がりつつあります。現在も各界での義援金キャンペーンが実施されています。
公助は、大災害時には特に国・自治体の役割が大きい。
災害時にはやはり自衛隊、消防、警察、医者等専門家派遣の活躍が重要なことは再認識されたと思います。自治体職員の全国的連携が効果を発揮しています。自然災害は、国家安全保障でもあり、法律によって制度がありますが、執行の検証や法律自体の不備は修正が必要です。例えば、沿岸部では、堤防への投資が良いのか、高台に住む投資が良いのかを選択する必要があります。
政治は、人生のインフラであることを痛感している方が多いと思います。経済人も企業というミクロ経済だけでなく、政治というマクロ経済へのステーツマンの役割が大切だと思いました。
【SNSの急増とメディアリテラシー~自分の眼、勉強で自立した現状の正しい認識を持つこと】
大震災では、メディアリテラシーの大切さを痛感しました。
自分の人生を左右する事態では、信じるにたる情報や本当に信頼できる人を見つける事が大変です。やはり調査研究や勉強して、努力し自分なりの見識を持って生きることが大切だと痛感しました。被災地の方々は思った以上に、メディアを盲信しないで現実をよく見て、したたかに生きようと必死でした。
大災害時は、特にテレビ、新聞等メディアの報道に頼ることが多くなりますが、事実の報道は活用しながらも、日本のメディアに登場する「キャスター」「専門家」「素人コメンテーター」の発言を無造作に信用しないことが大切だと感じています。場合によっては、政府、企業の発表もよく吟味して判断する必要があります。
今や、インターネットはほぼ全国民に普及しています。その役割と可能性を信じていますが課題も多い。私が毎日使用しているツイッターやフェイスブック等のSNSも今回大事な役割を果たしましたが、発信された内容はデマや偏ったものも多くありました。
私は「複眼二刀流」と言っていますが、現在と未来、国内と海外、節電と発電、倫理と経済、私と公、自然科学と社会科学など複眼から物事を分析し、統合して考える必要があると思います。
(出所)インプレス「インターネット白書98」、総務省、NTTドコモ
(注) 1995年国勢調査人口数を使用したため推定
※詳細は・・・BIエッセイ2011/03/22 故郷宮城を思い、ツイッターで昼夜災害救援情報を発信!―「キュレーションの時代」を実体験した1週間―
・BIエッセイ2011/05/09 デジタルネイティブ時代の「大震災とネットの役割」を考える
【冬の震災時計画停電、夏の強制節電による身体体験~安く安定した電気供給を絶対止めてはならない】
地震当日、私は帰宅電車が止まり帰宅困難者となりました。避難所として開放してくれた青山学院大学体育館で一夜を過ごしましたが一睡もできませんでした。
震災前の2月から始めていたツイッターには、地震直後から故郷宮城県はじめ被災地の情報が急増しました。地震の被害が驚く事態であることを、私はこのツイッターの情報で知りました。夢中でツイッターを使い救援の情報収集と情報提供に集中しました。その際困ったのは、携帯もスマホも電源供給がなくなると使えくなってしまうという現実です。
写真:ギャラクシーTab
関東のインフラ復旧は早く、地震当日の夜地下鉄は復旧し、JRは翌日から復旧運転を開始しました。しかし、その後大きな課題が判明しました。福島原発の損傷です。
この影響で関東中心に私達は計画停電を初めて味わいました。大宮のマンションに住む我が家では2~3回実施され、寒い季節の停電の不便さを身をもって体験しました。
産業界20%節電強制という異例の対応に、生活や企業活動は大きく低下しましたが、日本企業は臨時対応でやり抜きました。企業経営に関わって感じたのは、節電だけでは限界があり、発電、蓄電、節電三位一体の対応が必要であるという事です。
あらゆる住宅、設備、工場、病院、機械、生活器具等すべてが電気供給で成り立っています。まして、寒い季節や暑い季節の影響は甚大であることを実感しました。
東北の被災地も電源喪失によって初動復旧が困難となり、厳しい生活が長期化しました。
この身体体験という皮膚感覚を忘れてはならないと思います。安くて安定した電気供給無くして文明国はありえない。エネルギーの将来は、この状況を重要視して考えていかなければなりません。
※詳細は・・・BIエッセイ2011/08/01 災後、大人の流儀探究-理性と感性の間で人間はどうあるべきか?! -坂村健『不完全な時代-科学と感情の間で』を読んで-
・2011/09/05 「今、日本企業、経営学にとって大切なこと~「災害復興、経済復興、日本再生」の新起点に立って
【企業改革と「経済と財政の一体改革」が待つたなしの日本】
2008年秋リーマンショック後、多くの企業は経営改革を進め、企業業績も改善中での大震災でした。日本企業は個別および業界協力によってサプライチェーンを夏頃までに驚異的復旧を実現しました。
日本の民間企業の多くは、グローバル時代に生きる道に勇断を持って邁進し始めた印象です。
※詳細は・・・BIエッセイ・2011/09/12 M&Aの時代。買収した赤字会社30社すべてを黒字化した日本電産の経営。
・BIエッセイ2011/11/14 危機と戦う信越化学の経営。「失われた20年」の間、13期連続最高益更新続けた国際企業
総じて、改革を進めている日本の民間企業の未来は明るいと思います。
残念ながら、マクロ経済をリードする政治は未来に向かっていると思えない。民主党政府は、「税と社会保障の一体改革」という。国民背番号制は先送り。結局、公約違反を謝りもせず反故にして消費税を上げる政策です。その程度で日本の財政バランスは回復しないのは明白ですし、単なる重税路線になりかねません。
「経済と財政の一体改革」が必要と思います。夫婦共働きで家族収入増と子育て環境整備、経済成長による税収増、行政改革による公的支出削減、社会保障費の世代負担の不公平是正と削減、税も所得税中心から消費税・資産税などの改革が必要です。日本と家族の幸せを実現する道はあると思います。もちろん、貧困世帯への社会政策は重要です。財務省主導、官庁肥大化、公務員温存の印象は拭えません。
その点では、大阪、名古屋等で、選挙権を持つ住民の手で改革を進める動きは注目されます。結局、政治とは既得権との権力闘争だとすれば、その責任は国民、住民が解決するしかないことかもしれません。すべての先進国は、民主主義とは言っても、担う国民がいなければ国難に直面することを教えています。
私たち大人、特に60歳以上のシニアは、自分たちが良ければよしとして、選挙権のない子供や孫の未来を明るくする責任がないのでしょうか? 日本人は猶予できない課題を抱え、大人のあるべき生き方を考えながら新年を迎えることになりました。
以上
(参考文献)
1.讀賣新聞 2011年12月11日朝刊
2.茂木健一郎・竹内薫『3.11以後』(中公選書 2011年11月 )
3.月刊誌『Voice』12月号(PHP研究所 2011年11月)
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佐々木 昭美(ささき あきよし)
取締役会長 総合研究所所長
経営コンサルタント(経営改善、事業開発、ビジネスモデル、 人事戦略、IPO、M&A、社外取締役)
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