佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2011/06/27 新幹線人間塾(2)~「共に」と、東北を思う作家8名の言葉

「共に」という言葉に惹かれました。

JR東日本の新幹線座席BOXに置いてある定期雑誌『トランヴェール』6月号を、また大事に保管しようと思いました。東北新幹線再開後、5月、6月と毎月故郷宮城を訪ねることになり、目に留まった。

・BIエッセイ2011/05/16 ふるさと宮城県大崎市訪問レポート――『東北人の魂は耐えて、震えている』
・BIエッセイ2011/05/23 宮城県視察レポート(2)――日本未曾有の大震災であり、全国民、全産業、国・全自治体の持続的復興支援が必要です。
・BIエッセイ2011/06/20 「MBB未来島日本」を東北から――「ICT復興支援国際会議」に参加して

また、と書いたのには理由がある。過去の『トランヴェール』も数冊本棚に大事に保管しています。その経緯をBIエッセイに書いたことがあります。私にとって新幹線は人間力を学ぶ塾なのです。

・BIエッセイ2010/02/15 「出し惜しみしない」:私の「JR東日本-新幹線人間塾」

『トランヴェール』6月号は、特集「共に。東日本、明日へのメッセージ」というタイトルで、過去寄稿した作家8名のエッセイを掲載しています。東北出身の私にとっていたく心に染み入り、情を感じる言葉には心を打たれました。私が感じいった本文の一部を引用して今回紹介させて頂きたいと思います。
参考資料

(1)高橋克彦 「心の文化の復興」 <1947年 岩手県釜石市生まれ>

「今、若者たちに浮世絵への興味が膨らみつつあるのだという。・・(略)・・若者たちの浮世絵の関心の増大は、もしかするとモノの文化に対する潜在的な否定がもたらしたものではないかと気が付いた。・・(略)・・正しく、江戸は当時の世界において一等の文化都市だった。・・(略)・・そしてこの江戸のシステムは今の被災地の復興にもそのまま通用する。モノの文化から決別し、心の文化に重点を置いた新しい故郷作りをするのである。」

(2)佐藤賢一 「静かなる東北」 <1968年 山形県鶴岡市生まれ>

「事実、東北は今回の大震災でも、その静けさで世界に驚嘆されている。・・(略)・・無言でいるわけですらない。ただ、東北の言葉というのは、フランス語にも通じる「囁く喋り方」なのだ。・・(略)・・何故こんな喋り方になるかといえば、吹雪は寒いからである。大きな口を開けては、冷気に肺まで冒されてしまう。厳しい環境のなか、静けさは生き抜くための知恵なのである。いいかえれば、東北の静けさは強さだ。」

(3)林 望  「東北の野山をゆけば」 <1949年 東京都生まれ>

「いままでずいぶん旅を重ねてきた。その結果、つくづくと思ったことは、日本はなんと美しい国なのだろうか、ということである。なかんずく東北の地は、静かで海山の変化に富み、もう失われてしまった日本の現風景や人情がかそけくも息づいている。陸奥湊・・岩手では遠野・・会津・・川崎町・・。みな忘れ難い。こういう無名の場所へ、しかもとっくりと心に染みてくるような旅を私は愛する。」

(4)池内 紀 「河口の風景 - 石巻」 <1940年 兵庫県姫路市生まれ>

「そのころ「日本風景論」というテーマにとりくんでいた。・・(略)・・「河口」の章は宮城県の石巻ときめていた。日本有数の大河北上川が仙台湾に流れ込む。江戸のころは奥州米の積出港として栄えた。・・(略)・・あの河口の風景はどうなったか。いまどうなっているのだろう? 岡田劇場も萬画館も大津波にさらわれたのか。干しイカをかじっていた野球帽の少年はどこにいるか。台座の上のあの川村孫兵衛のように、念じるようにしてただ一点を見つめていたくなる。」

(5)泉 麻人 「東北 戸地名紀行の思い出」 <1956年 東京都生まれ>

「東北旅行の思い出といえば、以前「戸(へ)」の付く町を訪ね歩いたことがあった。一戸から九戸まで、数字+戸の地名が岩手県北部から青森にかけて散在している。これは、平泉の藤原政権の時代、貢馬(くめ)に使われた南部馬の成育地に由来する地名、と聞いたが、地図を広げてみると、他にも百石、七百、十和田、三沢・・(略)・・青森周辺にはなぜか数字名の地名が多い。」

(6)村松友視 「最後の砦」 <1940年 東京都生まれ>

「あの三月十一日から、大地震、大津波、原子炉問題の不安、さらに刻々の地震、そしてまた強い余震と一向に先行きの見えぬ対策などが報じつづけられつつ、かなりの時が過ぎようとしている。そのあげく、強く感じたのは、最後の砦はやはり人間そのものであるということであった。」

(7)津本 陽 「東北の地を思う」 <1929年 和歌山県和歌山市生まれ>

「東北新幹線が開通して間もない頃、盛岡へいったことがある。諸賞流という柔術、小具足打ちの宗家をたずねたのである。・・(略)・・それから十数年がたって、私は宮古市へ講演にいった。盛岡市から車で一時間半ほど離れた太平洋にのぞむ市街は、屈曲に富んだ風景が私の故郷和歌山市和歌浦(わかのうら)の港を思い出させた。・・(略)・・そのうちに、盛岡から宮古へでかけようと思っている。」

(8)内館 牧子 「岩出山よ、ありがとう」 <1948年 秋田県秋田生まれ>

「私は「元気をもらう」という言葉を好まない。「勇気をもらう」とか「夢をありがとう」「感動をありがとう」の類もである。言葉として好まないとはいえ、こう言いたくなる気持ちはよくわかる。何かから元気や感動をもらうことは確かにある。特に非常時には、平時には当たり前と思っていたものから、生きる力をもらうことが間違いなくある。・・・

2008年12月、私は旅先の岩手県盛岡市で、突然倒れた。・・(略)・盛岡は亡き父の故郷であり、私は子供の頃から「お祖母ちゃんの家」に行くたびに、岩出山を見ていた。親しんでいた。

看護婦さんは二人がかりで私を起こし、車椅子に乗せ、窓辺につれていってくれた。初めて寄った窓辺に、ドッカーンと岩出山があった、その大きさ、美しさ、雄々しさを私は一生忘れないだろう。澄みきった北国の青空を背に、今迄見た岩出山とはまた違う偉容だった。「不動」そのものだった。

私はこの時、間違いなく岩出山に元気をもらったのだ。感動をもらったのだ。」


一昨日25日、政府の復興構想会議が「復興への提言」を答申しました。復興の原点は被災地への「あなたと共に I am with You together 」という喜びも痛みも分かち合う感受性と持続性が大切だと思った次第です。

以上

(参考文献)
1.東日本旅客鉄道株式会社『トランヴェール』2011年6月号

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thumbnail_sasaki佐々木 昭美(ささき あきよし)

取締役会長 総合研究所所長

経営コンサルタント(経営改善、事業開発、ビジネスモデル、 人事戦略、IPO、M&A、社外取締役)

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