佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2009/08/24 夏美遊③『伊勢神宮と神々の美術』特別展:国宝含む秘蔵の神像・装束・神宝・絵画・刀剣・文物から伊勢神宮の全貌に驚く!

 日本の聖地伊勢神宮に、再び夏東京で出会った。現在、上野公園にある東京国立博物館で開催中の『第62回式年遷宮記念特別展~伊勢神宮と神々の美術』東京展(7/14~9/6)を鑑賞した。皆様も、日本の聖地への旅を再びしませんか。

 ミュージアムショップで赤福販売をしていました。私は夕方で売り切れとなっていましたので、希望の方はお早めに。

 私は、昨年ゴールデンウィークの爽やかな季節に、初めて伊勢神宮参りの旅をした。広大な「神宮」に驚き、悠久の静謐な森の社に包まれ、式年遷宮(しきねんせんぐう)の不思議な連続性に思いをはせた。(2008年5月8日BIエッセイ『“一生に一度”の伊勢神宮参りと国宝薬師寺展』詳細はこちら>>
 今回展示されている国宝・重要文化財含む秘蔵の神像・装束・神宝・絵画・刀剣・陶器・文物等は、私も含め伊勢神宮参りをされた方でも初めて見る方がほとんどだと思う。伊勢神宮の秘められた新しい姿を見た思いである。美術月刊誌『美術手帖』2009年8月号が「伊勢神宮」特集をしている。

 20年毎の式年遷宮とは、社殿造営による建築物一新の印象が強かった。実は、奉献される御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)もすべて一新される。「神様のために紡織具、武器、馬具、楽器、文具、日用品など、714種類、1576点におよぶ膨大な数の宝物が調整される。」(参考文献4:53ページ)

 平成25年(2013年)、第62回式年遷宮で奉納される神宝の調整はすでに各地で始まっている。産経新聞が8月13日付記事で、金工 浅井盛征氏の仕事の様子を紹介している。

 立松和平氏『伊勢発見』を読んだ。日本の聖地伊勢神宮は多くの謎を秘めながら、日本人の生活と、こころの原郷(まほろば)と述べている。その謎に少し触れた展示会であった。
「伊勢神宮と神々の美術」特別展にて 【図録】伊勢神宮と神々の美術
写真左:『伊勢神宮と神々の美術』特別展にて
写真右:参考文献【図録】伊勢神宮と神々の美術

【図説】伊勢神宮 参考文献「美術手帖」・「伊勢発見」
写真左:参考文献【図説】伊勢神宮 表裏表紙
写真右:参考文献「美術手帖」・「伊勢発見」

(1)式年遷宮で一新される御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)

 美術雑誌『美術手帖』2009年8月号が、「伊勢神宮」特集をしている。表紙が、年間700万人の現代人男女が訪れる秘められた聖地伊勢神宮を想起させる。女優香椎由宇さんが、聖地伊勢神宮に融け込んで独特の雰囲気を表現している。日本の歴史民俗に係わる展覧会の企画構成・監修37年の松平乗昌氏編集の本『【図説】伊勢神宮』(以下、【図説】と略称する)は、「秘蔵の神宝・和歌・刀剣・絵画でたどる神宮の歴史」という新しい角度で伊勢神宮を紹介している。

 当然のことではあるが、展示品写真撮影ができず、映像で紹介できないのが残念であるが、購読した図録・図説の表紙写真も交えて読んで頂きたい。

 20年毎の式年遷宮は、社殿(神の住まい)をはじめ、一千五百点余に及ぶ御装束神宝(身のまわりの調度や品々)をすべて造り替えて、新たな宮に遷す。

「御装束はお飾りする御料を意味し、衣服・服飾品などを含め、神座・殿内を飾る品・遷都の儀式に用いるさまざまな品が含まれ、五百二十五種・一千八十五点に及び。神宝は神々を御用に供する調度品を意味し、衣をつむぐ紡織具、武器武具、馬具、楽器、文具、日常品と大きく分類され、百八十九種・四百九十一点にのぼる。七百十四種・一千五百七十六点の御装束神宝は平安時代の「皇太神宮儀式帳」などをもとに、当代最高の美術工芸家の技法によって調整される。」(【図録】参考文献1:105ページ)

<須賀利御太刀(すがりのおんたち)>

【図録】表紙真中の『須賀利御太刀 附 鮒形』。

 この美しさは何と形容するのでしょうか。古代人の美意識に触れ、自分の心まで美しくなったような気がする。

「須賀利は『皇太神宮儀式帳』(804年)に「須賀流」、『延喜太神宮式』(927年)に「須我流」ともあって万葉歌人が「飛び翔るすがる(地蜂の古称をいう)の如き腰細に取り飾らひ」(『万葉集』巻十六)と形容した、その蜂のような姿の美しさを表すともいわれている。・・(略)・・柄の上下には鴇(とき)の羽二枚が緋色撚糸で町形に纏ってあり、他の太刀には類例を見ない装飾法である。」(参考文献1:191~192ページ)

<御白玉(おんしらたま)>

【図録】表紙左上の『御白玉』。

 白玉という場合は、真珠のことであるという。八十一丸からなり重さ四匁。

 伊勢は、真珠の宝庫志摩半島に近い。昨年の伊勢・鳥羽・志摩旅行の情景が蘇る。このエッセイとは直接関連ないが、真珠といえば日本人にとって絶対忘れてはならない御木本幸吉翁の故郷も伊勢に近い。(2008/06/02 BIエッセイ『全ての女性の胸に輝く真珠と笑顔-世界真珠王御木本幸吉生誕150年への旅』詳細はこちら>>

<鶴斑毛御彫馬(つるぶちけのおんえりうま)>

【図説】裏表紙の鶴斑毛御彫馬。馬の正面からの角度である。馬自体も、今は絶滅した鶴斑毛という馬である。馬や馬形を神に奉る歴史は古く、御料も『延暦儀式帳』(804年)には「土馬(はにま)」とあるという。装飾美も素晴らしい。金具はほとんど金銅である。

「彫金はいづれも高度な伝統技法によって製作された造形で、わが国固有の馬の形態と王朝公儀の飾馬の姿を精緻な工芸美でつたえている。」(参考文献1:196ページ)

(2)神々の姿は神像?<国宝 熊野速玉大神座像・夫須美大神座像><重文 童形神座像>

 神々の造形は、日本ではどうだったのだろうか?古代人は神々の存在にどう向き合ったのだろうか?皆様も興味と疑問をお持ちだと思います。古くは、神はその姿を表されることはなかったが、8世紀半ば頃から仏教の影響をうけて神像彫刻がつくられた記録があるという。

<国宝 熊野速玉大神座像(くまのはやたまおおかみざぞう)・夫須美大神座像(ふすみのおおかみざぞう)>

 平安時代9世紀の神像彫刻『国宝 熊野速玉大神座像・夫須美大神座像』が展示されている。産経新聞は、8月9日付でその写真を紹介している。(参考文献6)

「九世紀半ばまでの神像彫刻は、衣の襞の表現や胡座のように足を組む座り方などに、仏教彫刻の表現を取り入れたあとが認められるが、九世紀末頃になると、簡略化された衣の襞、奥行きの狭い脚部といった神像独自の表現が生まれる。」(参考文献1:198ページ)

<重文 童形神座像(どうぎょうしんざぞう)>

 【図録】右下の『重文 童形神座像(どうぎょうしんざぞう)』は、鎌倉時代13世紀の木造で京都の石清水八幡宮に所蔵される。
「幼い表現の像は丸顔で愛らしく、年長の像は頬がふっくらとして少年の相貌であるが、神像らしい威厳が備わっている。」(参考文献1:199ページ)

(3)『伊勢参詣曼荼羅(いせさんけいまんだら)』にみる伊勢詣で

 東京国立博物館の沖松健次郎氏は、伊勢曼荼羅について図録論文でこう説明している。
 
 社寺参詣曼荼羅(以下、参詣曼荼羅と略称する)とは、中世半ばから近世初期に製作された、社寺の由来や霊験譚(れいげんたん)にまつわる事物・事象、その社寺特有の習俗や行事など社寺の参詣する人々の様子と共に描いた一群の絵画とされる。近畿地方の社寺を描いたものを主として八十点余りが知られているという。

【図説】表紙の『伊勢参詣曼荼羅』は、伊勢神宮にかかる参詣曼荼羅四例の中で最も古く、明瞭な構図と細部の描写など完成度が高いとされる。

「これらの絵画は、大きな画面、赤・黄・青・白といった限定された顔料を用いた鮮やかで印象深い色彩、親しみやすい人物や建物の描写を特徴としており、諸国を廻って社寺での寄進を募る勧進僧(聖)などが、信仰を喚起し、参詣や寄進を勧めるための絵解き用いたと考えられる。絵解きとは、教理・伝記・縁起・説話などを描いた絵を僧侶などを観衆に対して当為即妙に語りかけながら解説する行為である。」(参考文献1:158ページ)

 当時の人々にとっては、御師(おんし)や勧進僧が折り畳んで携え、絵解きをしながら、伊勢神宮への信仰心を呼び起こすと同時に、現在の旅行ガイドブックと同じ勧誘の役割を果たし、未だ見果てぬ伊勢参詣への期待や好奇心を起こす契機になったのであろう。

(4)ドナルド・キーン氏「私のおかげ参り」・イルカさん「1年の始まり」・立松和平氏『伊勢発見』の旅

 国立博物館1階のガイダンスルームの「伊勢神宮」関連映像17分は必見である。

 伊勢神宮は、10月の神嘗際を中心に1年に1500回以上の祭事を行う。式年遷宮に向けて8年もの長い祭事が連続する姿を初めてみた。木材自給に向け大正時代から200年の植林が始まっている。古代からの清らかなもの、尊いものに耳を澄ます。古代人の神々への尊崇、秋の豊穣への思いが、現代の私の心の奥まで深く伝わってくるから不思議である。人間の永遠の営みの原点を伝え続ける伊勢神宮が、毎年数百万人の日本人を誘う謎に触れた思いがした。

 産経新聞は、8月10日付で、「伊勢神宮」展~私のおかげ参りという欄で、遷宮を3回経験したというドナルド・キーン氏への取材記事を掲載している。一定の期間ですべてを新調する神宮のあり方に日本独特の精神性を見いだすという。さらに、再生を繰り返すことに日本の特性があると指摘する。引用させていただく。

「日本人は、ある時期のうちに変化することを好み、その変化に対して敏感に反応します。日本人は何かが変化することで、自らが新しくなり、本来の姿、もとに戻っていくという考え方をするようです。遷宮は、まさにこの考えに基づき、常に新しくなることで、本来のあるべきものに戻っていくのです」(参考文献7)

 2003年出版の『日本の古社~伊勢神宮』(参考文献2)の中に、シンガーソングライターであるイルカさんの「1年のはじまり」という文章に目が止まった。毎年、十月か十一月にはスケジュールを調整して、年に一度、神宮にうかがうことが自然と習慣になっているという。その際には、お神楽(かぐら)を奉納するようになった。1年の締めくくりであり、はじまりであるそうだ。現在は、どうしているか私は調べてはいない。

「どうして毎年うかがうことにしているのだろうと、自分自身に問いかけても、理屈で簡単に説明のつくことでもない。木漏れ日のなか玉石をシャカシャカとふんで歩を進め、樹齢をかさねた大木と出会って、また祝詞の言葉を聞いて、すべて命あるものには神さまが宿っていると感じる自分がいる。今の自分よりもっともっと昔の自分がよみがえってくるようなアルカイックな感性のようなものが呼び覚まされる。自分の前後左右の位置をたしかめる、そんなけじめをつける貴重な体験に惹かれるように、わたしのお伊勢まいりがあるのかもしれない。」(参考文献2:67ページ)

 立松和平氏の『伊勢発見』を読んだ。取材で伊勢通いの旅を繰り返し、「伊勢を発見した」と語る。第四章「原郷」には、伊勢神宮を日本の聖地と言い切り、こう書いている。

「伊勢のことがこんなに心魅かれるのは、何故だろう。伊勢が近代の国家神道に呑み込まれるよりはるか以前、この国がようやく中心となるべき思想の核を持ち始めた時代の、人々の記憶が残されているからである。伊勢はこの国の原郷(まほろば)といってよいだろう。その原郷をなつかしく思うのは、精神活動としては当然のことなのだ。・・(略)・・その記憶は伊勢神宮が鎮座する前の時代から、現代そして未来へと、私たちがどのように生きてきてこれからどのように生きようとするかについて、教えてくれる。そのような場所こそを、聖地というのである。」(参考文献5:196~214ページ)

(追記)
 大阪展は、2009年9月19日(土)~11月9日(月)大阪歴史博物館で開催されます。西日本地域の皆様もご覧いただける機会です。
以上

(参考文献)
1. 東京国立博物館・大阪歴史博物館・社団法人霞会館・産経新聞社『第62回式年遷宮記念特別展~伊勢神宮と神々の美術』図録(2009年7月)(【図録】と略称する)
2. 三好和義・岡野弘彦ほか『日本の古社 伊勢神宮』(淡交社 2003年12月)
3. 松平乗昌『【図説】伊勢神宮』(河出書房新社 2008年8月)(【図説】と略称する)
4. 美術出版社『美術手帖2009.08』(2009年8月)
5. 立松和平『伊勢発見』(新潮新書 2006年11月)
6. 産経新聞社『産経新聞』2009年8月9日第14版 2ページ
7. 産経新聞社『産経新聞』2009年8月10日第12版 12ページ
8. 産経新聞社『産経新聞』2009年8月13日第14版 11ページ

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