佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション
2009/04/20 NHK大河ドラマ「天地人」上杉謙信・直江兼続の“歴史ロマントレッキング”を楽しみませんか
日本百名城である春日山城址頂上本丸跡で、新潟市から来たご夫婦のツーショット写真を撮った。遅咲きの濃いピンク色の桜の下で、私も日本海と頸城(くびき)平野を背景に写真を撮って頂いた。「越後(新潟)は、やはり関東甲信越ですね。」頂上で交わした地元新潟人の何げない一言が、私の心を捉えて離れなかった。トレッキングの適度な疲労感と言葉をかわす一期一会の旅仲間との共感が心地よい。金沢近郊の北陸先端大学院での研究、金沢国際ホテルでの交流会の翌日、上杉謙信公の居城春日山城跡周辺を歩いた。金沢駅から約2時間、越後湯沢から約1時間の港町直江津(現上越市)である。NHK大河ドラマ『風林火山』のガクト(Gackt)さん謙信、『天地人』の阿部寛さん謙信、妻夫木聡さん直江兼続と続くテレビの影響力は凄いと上越市埋蔵文化財センターの案内嬢は屈託ない笑顔を見せた。
今回を『天地人』の地を美遊するシリーズ第1回として、今後直江兼続の生まれ故郷魚沼、西に広がる金沢・能登、転封した会津若松、米沢などをじっくり訪ねる旅企画も面白いと思った。美遊仲間希望の方は、ご連絡ください。
↑春日山神社への階段 ↑春日山城跡にて ↑参考書籍「天地人を歩く」
(1) 上杉謙信・直江兼続の春日山城跡は、快適な“歴史ロマントレッキングコース”
↑春日山神社 ↑毘沙門堂 ↑本丸跡
上杉家春日山城があった直江津(現上越市)は、NHK大河ドラマ『風林火山』に続く『天地人』人気で、今や一躍スポットライトの当たる地である。私も毎週日曜日午後8時には『天地人』を必ず見る。その高揚した思いに誘われて自作“上杉謙信・直江兼続歴史ロマントレッキング”を4時間ゆっくり楽しんだ。直江津駅を午後1時30分に出発し、午後5時30分まで、「アラ還」で運動不足の私でも快適なコースである。
林泉寺から歩くと良い。135段数えて登ると謙信公を祭神とする春日山神社。上杉家の重臣で大河ドラマ『天地人』の主人公直江兼続の屋敷跡。謙信公が出陣前に戦勝を祈願した毘沙門堂。頂上は、日本海と頸城平野が眺望できる本丸・天守台跡。謙信公の跡を相続した上杉景勝の屋敷跡。歩いて山を降りると上越市埋蔵文化財センターがある。お館乱の舞台となったお館跡は、直江津駅に近い。直江兼続は、この春日山城で謙信に多くを学んだ。
頸城自動車(株)が、直江津駅前よりシャトルバス「天地人号」を運行しており利用させて頂いた。(TEL 025-543-4280)直江津駅北口の頸城自動車案内所では、案内嬢が笑顔で迎えて下さり、詳細なパンフレットで親切に教えてくれた。その場所が始発である。
(2) 上杉謙信公と出会う林泉寺はみどころ -紺地に日の丸軍旗、「第一義」直筆大額、自画像、自筆書状、御墓に向き合い戦国時代にタイムスリップ
↑林泉寺惣門 ↑林泉寺山門 ↑上杉謙信公の御墓
シャトルバスで林泉寺駐車場に降りた。越後春日山林泉寺(TEL 025-524-5846)は、上杉謙信公の菩提所である。上杉家が会津に移封後、堀家、松平家、榊原家の菩提所となり、歴代の家紋がある。
毘沙門天(びしゃもんんてん)を深く信仰し、「義」のためにたたかう聖将として49歳で亡くなった上杉謙信公の御墓があり、隣に5度も戦った川中島合戦の供養塔がある。上杉謙信公直筆の大額が山門に掲げられている。「春日山(かすがさん)」と「第一義」。謙信は、7歳から14歳まで林泉寺で学問と禅を学んだという。14歳で元服して長尾景虎を名のり、19歳で兄晴景に替わって越後守護代となった。32歳で鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉姓と関東管領職を上杉憲政から譲られた。謙信を名乗るのは40歳である。
宝物館には是非寄って下さい。後奈良天皇から下賜された「紺に日の丸」の軍旗、「毘」の旗がみられる。「大夢(たいむ)」という文字もある。輝虎と署名した40歳頃のものとされる自画像や多くの自筆書状がある。越後の民、戦国の世を思い2度上洛した謙信の心と向き合う。
8月開催される謙信公祭は、2007年~2008年とガクトさん(Gackt)謙信が出陣行列に参加して熱気に包まれたという。
(3) 米・青苧・金・港-室町後期の直江津(現上越市)は、京都、小田原に次ぐ商工業大都市
秀吉と家康に一目置かれた上杉家の強さを、テレビドラマ等が強調する「義」と「愛」に共感するだけに、それだけでは素直に納得できない気持ちがあった。『天地人』原作者である火坂雅志氏も越後出身である。火坂氏自身も、故郷愛の感情に流されることなく、冷静な視点で直江兼続の原点を見つめる旅を書いた『「天地人」を歩く』にその答えを示唆している。経済と義の両立である。お土産に、繊維「あおそ(青苧)」を使った布類と金粉を混ぜたお酒があった。謙信の経済力の源は、3つであった。頸城平野等39万石の米、青苧を繊維原料とした高級衣料・越後上布の生産と販売、当時日本一の高根金山の開発と産出。その水運と陸運の要路が直江津である。
*「あおそ(青苧)」はイラクサ科の多年草、カラムシの茎の皮から取り出した繊維で越後上布の原料となった。青苧売上税、苧船(おぶね)入港税は、謙信勇躍を経済的に支えた。
『直江津は上代より「水門(みなと)」と呼ばれ、東西日本を結ぶ水運の拠点として繁栄を誇った港町である。律令制に基づき国府となり、鎌倉・室町期には守護所が置かれた。このような地方の中心都市を「府中」という。越後府中。すなわち直江津港を擁した現在の上越市は、戦国の世、越後の経済と政治、文化を一手に担い要衝であった。」(参考文献1:26ページ)
『上杉謙信が名将と謳われるのは、「義」によって結ばれた軍団が戦闘力を誇っていたからだけではない。彼は戦国一の裕福な大名であった。すなわち抜きんでた経済力を有し、領民の経済政策をゆるがせにしない名政治家だったのである。』(参考文献1:29ページ)
春日山城本丸跡からは、日本海と頸城平野が一望に見えた。関東、信濃、北陸の陸路の往来も監視できる絶好の立地にあることが実感できた。日本海に沿う上杉藩は東西に広い。関東甲信越に属しながら、当時の中心地京都への供給・流通の大国であった。
(4) 上杉家の原点越後(新潟)、越中(富山)、金沢・能登(石川)は、GW旅行最適地
3月16日のBIエッセイで『NHK大河ドラマ「天地人」の舞台は広く、ETC車1000円で国内旅行絶好の舞台?!』を書いた。詳細はこちらからお読み頂きたい。交流会で宿泊した金沢国際ホテル(TEL 076-296-0111)出発の朝は、さわやかであった。カラフルな明るいデザインのレストランで地元野菜を中心とした美味しい朝食をゆっくり楽しんだ。受付の方の領収書の手書き文字がはっとする程上手で、思わず声をかけた。“幼少より始めて、今も書道を習っています”とちょっとはにかんだ笑顔と声が返ってきた。金沢国際ホテルは、330年の伝統を持つ金沢の老舗浅田屋さんが経営している。私は、金沢と金沢の女性が好きになった。GW、金沢は「ラ・フォル・ジュルネ金沢-「熱狂の日」音楽祭2009」で盛り上がる。
旅は、味わう・楽しむ・知る・温泉・祭り・見る等多彩なコースがある。各市観光ホームページが充実しています。事前に調べて、楽しいGWをお過ごしください。
↑金沢国際ホテルにて ↑ラ・フォル・ジュルネ金沢・能登・上越市ガイドブック
先週訪問した金沢・能登、上越ガイドブックの一部を紹介します。
◎ ラ・フォル・ジュルネ金沢公式ガイドブック
「熱狂の日」音楽祭2009~モーツアルトと仲間たち
〔4/28~5/4北陸三県(福井、石川、富山)で開催〕
ラ・フォル・ジュルネ金沢音楽祭実行委員会事務局
http://www.lfjk.jp/
◎ぶらり能登2009ガイドブック
能登観光ポータルサイト「のとねっと」
http://www.notohantou.net/
◎上越市観光ガイドブック
上越市観光企画課、観光振興課、上越観光コンベンション協会
http://www.city.joetsu.niigata.jp/kankou/
以上
(参考文献)
1.火坂 雅志『「天地人」を歩く~原作者が旅する智将・直江兼続ゆかりの地』(祥伝社2008年9月)
2.越後春日山林泉寺パンフレット
3.上越市観光企画課等「日本百名城 国指定史跡 春日山城跡めぐり」パンフレット
4.上越市観光企画課等「港町、直江津 さんぽ」パンフレット
5.上越市「上越市観光ガイドマップ」
6.上越市「師弟継承の地 上越市」パンフレット
7.マルケーグループ「天地人ロードマップ」パンフレット
8.ラ・フォル・ジュルネ金沢音楽祭実行委員会事務局「ラ・フォル・ジュルネ金沢」公式ガイドブック
9.石川県企画振興部「ぶらり能登2009」ガイドブック
10.上越市観光企画課「上越市観光ガイドブック」