佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション
2008/11/25 紅葉の古都 清水寺と金閣寺を巡る
―文化の秋 美と人生を味わう(最終回)―
↑神戸大学
↑清水寺 ↑舞子姿を楽しむ観光客(清水寺境内にて)
↑金閣鹿苑寺境内の紅葉 ↑金閣鹿苑寺にて
高校の修学旅行以来でしょうか。神戸大学での学会の直前に、紅葉の清水寺と金閣寺を巡る“大人の修学旅行”を楽しむ機会に恵まれました。予想以上に暖かい秋の1日、紅葉に彩られた古都京都の自然美、伝統美の融合した空間を初めて味わいました。11月は、京都に観光客が一番訪れる月だそうです。NHKBSは、“11月のテーマは京都”キャンペーンで古都のすばらしい映像をたっぷり提供しています。今回も京料理「和久傳」で美味に満足し、初めて食べた“えびいも”現物を見せてもらいました。漬け物大好きな人間は、やはり京漬け物がお土産となりました。
(1)京都で一番訪れる「清水の舞台」の清水寺
京都で一番訪れる清水寺。参道、境内は、人・人でぶつかり合う程の参拝者で、観光バスも1時間遅れとなった。延鎮上人、坂上田村麻呂公が延暦17年(798年)創建。本堂だけでも10回焼失しても全国の寄進で再建されたという。寛永10年に再建以来、現在の姿。 霊場のひとつとして庶民の信仰を集め、参拝者に憧れの場所・人気の古寺である。1200年にわたる寺と人とのつながりの自然な奥深さに、畏敬の念を抱く。森の中で建築がやはり美しい。日本一の懸造(かけつくり)という建築で断崖の上に架かっている。美しい格子のデザイン。寄せ棟造りで桧皮葺(ひわだ)の屋根。平安時代以来の形式を踏襲しているという。
偶然にも御本尊の特別御開帳にあたり、清水型十一面千手観音像を拝観できた。二十八部衆、風神、雷神の像もあり、微笑憤怒などの表情のハッキリした彫刻表現に、当時の人々はどんな思いを抱いたのでしょうか。
“清水の舞台から飛び降りる”者が、江戸時代に234人いたという記録があるそうです。明治5年に禁止令が発布され、周囲に竹矢来(たけやらい)をめぐらせた。以来、飛び降りる者はいなくなったという。クイズに出そうな本当の話であった。
清水寺は、未来へのすごい夢を描き始めている。将来改造時に必要な柱172本を自前で育てる。数年前、北山を購入し、ケヤキの苗木1000本植えた。400年経って、直径1M以上の大木に育つ時柱が取れる。4百年の夢に繋がる現代人の魂も熱い。
(2)北山文化の象徴、紅葉彩る世界遺産 金閣寺
紅葉彩るまばゆいばかりの金閣寺に内外の観光客の驚嘆の思いが、明るい声で響きわたる。私も、金色、朱色、黄色の静かな華やかさにしばし佇む。室町時代だけでなく、現代でもやはり別世界である。デジカメのシャッター音が周囲で休まず続く。金閣は、『2層と3層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根はさわらの薄い板を何枚も重ねたこけらぶきで、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。』(金閣鹿苑寺案内)1層は寝殿造、2層は武家造、3層は中国風の禅宗仏殿造で、3つの様式を調和させた室町時代の代表的建物である。
鏡湖池(きょうこち)と呼ばれる庭園は、室町時代の代表的な池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)といわれる庭園で壮大です。名石が配されているのは、当時の諸大名が献納したものそうです。
金閣寺は、正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」という臨済宗相国寺(しょうこくじ)派の禅寺です。足利三代将軍義満が西園寺家の別荘北山第を譲り受け、山荘北山殿としたのがはじまりとされます。後小松天皇を招いて宴を催し、明国との貿易を盛んにして文化を発展させ、この時代の文化を北山文化と称されているのはよく知られていますね。
11月“美と人生を味わう”テーマのBIエッセイは今回が最終回でした。ご愛読ありがとうございました。12月は、通常にもどってON・OFF情報を書きたいと思います。
以上