佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション
2007/11/08 文化の日~渋沢栄一翁映画とトークショーに参加しました
11月3日(土)は、文化の日です。「渋沢栄一・埼玉が生んだ近代日本の父」映画とトークショーが開催されました。
先般、さいたま産業人会議が主催した上田知事との懇談会の場でたまたま案内のチラシがあり、面白い企画と興味を持ち、参加することにしたものです。さいたま県川口市にある彩の国ビジュアルプラザ(NHKアーカイブスと同じ建物)に初めて足を運びました。
渋沢栄一翁に関する本は若干読んだことはありましたが、映画があるとは知りませんでした。埼玉県企画短編映画「渋沢栄一 近代日本を築いた巨人」が60分上映されました。
また、渋沢栄一翁のひ孫にあたる渋沢雅英(しぶさわ まさひで)氏と(株)サイコム・インターナショナル取締役の石原 昇(いしかわ のぼる)氏とのトークショーが60分ありました。とても楽しい語らいでした。
私は宮城県出身ですが、今、埼玉県に住んで15年になります。渋沢翁は埼玉県に移る前から私の尊敬する方の一人でした。経営支援のBIP設立の心理的背景に、渋沢栄一翁への尊敬と憧れの気持ちが少しはあったような気がします。もう少し詳しく学んでみようと思っていた時期でした。
映画を観て、明治の黎明期に本当に若い青年たちが海外に学び、ほとばしる熱情とエネルギーを日本の近代化のために投入した時代精神に改めて感動しました。
渋沢栄一翁は、将軍徳川慶喜の弟昭武に従い、フランスのパリ万博に随行し約1年に滞在する中で、ヨーロッパの進んだ思想・文化・科学技術を直接見聞し、大きな影響を受けたといわれます。映画に、当時をしのばれる貴重な写真が良く残っていました。
その後の渋沢栄一翁の年譜と業績は多くの研究、文献があり、私が述べるまでもありません。
今回、埼玉県深谷市が制作した大変わかりやすい小冊子をいただきました。映画と小冊子を見て、私の渋沢栄一翁の認識が一部変わりました。2つの顔は良く知っていましたが、もう2つの顔があることが分かりました。
まず、最も強い印象があるのは日本資本主義の父としての顔です。約500社の民間企業を興し、「道徳と経済の一致」を説いて、日本の健全な発展を指導した偉人であり、産業人・企業人の尊敬する一人との認識は強く持っていました。海外から入ってきたCSR(企業の社会的責任)という言葉が昨今強く叫ばれていますが、日本には、おそらく江戸時代から源流があり、明治の渋沢翁は、その影響を受けていたのではないかと想像します。実業教育で、現一橋大学、日本女子大学の前身の創立に関与もしています。
もう1つ知っていたのは、社会事業家としての顔です。社会福祉事業にも熱心で養育院の設立など600ほどの事業に関わっています。最近、ソーシャルアントレプレナーという存在が、私も所属するベンチャー学会等でも研究がされ、海外研究の紹介も盛んですが、渋沢翁を始め、多くの日本の社会事業家の発掘と世界への発信が大切と思いました。
新しく知ったことは、医療施設と医学関係協会の設立に貢献した医療厚生の顔でした。東京慈恵医院(現東京慈恵会医科大学付属病院)、恩寵財団済生会、財団法人聖路加国際病院、日本結核予防会などの設立と運営に関わり、大きな貢献されたそうです。ヒューマニズムの精神の広がりに驚くばかりです。
もう1つは、いわゆる民間外交の顔です。日米が厳しい時代に「日本国際児童親善会」を組織しました。昭和6年には、中華民国水災同情会会長として義援金を募るなど、幅広く国際親善に尽くしました。
世界先進文明を知り、日米友好の大事さ、中国改革へのアジア人としての思いなどがあったのでしょうか。国だけでなく、人間同士のつながりの大切さを考えさせられます。
私の読書の好きなカテゴリーは伝記・自伝です。意外にも小学、中学、高校時代に読んだ偉人、先人の自伝は今もかなり覚えています。人生経験の少ない者が先人の実際に生きた体験に学ぶことは多いと思います。
渋沢栄一翁に感化された文化の日でした。
※ 参考文献 埼玉県深谷市『渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくり』