2015/05/19 第13回「人材の「能力不足」を責めることの無意味さ」
私たちの会社でのミッションの一つに、企業人材のレベルアップがあります。
戦略や施策作り、仕組み作り、研修などの取り組みを通じて、企業の人材育成を支援していく訳ですが、こういう中で、「社員の能力が低い」「管理者が役割を果たせない」「仕事ができない」などと、他者の「能力不足」を批判する声というのは、程度の違いはあっても、ほぼすべての企業で聞かれます。
上司は部下の能力不足を言い、部下は上司の能力不足を言い、それぞれの社員が自分以外の他者、他部門の能力不足を言います。
今のビジネスの世界では、物事の進むスピードは速く、結果もシビアに問われるので、こう言う話が出てくるのはやむを得ない面はありますが、大して教えもせず、フォローもフィードバックもしていないのに、自力で出来ないから「能力不足」だといい、すぐに「使えないから辞めさせろ!」とか「降格だ!」というような、無責任な見切りの早さを感じることがあります。
また、こういう言い方をする人は、少なくともその相手より自分の方ができるという自負を持っていて、それをよりどころにして、他者の「能力不足」を指摘します。
しかし、ある一面では優れていても、できていないこともまだまだたくさんあるはずです。たまたま顕在化した部分はできていたのかもしれませんが、自分のことを客観視できていないと思います。
この「能力不足」ということについて、お付き合いがある会社の社長が、興味深いことをおっしゃっていました。
「“なぜできない”と他人の能力不足を責めるのは、その人に対するイジメと一緒だ」というのです。
その方曰く、
「目や耳に障害がある人に対して、“なぜ見えない”、“なぜ聞こえない”と責めることはないはず」
「見た目の様子でできないことがわかれば、その人のことは責めないが、仕事上の能力は内面にあって見えづらいから、自分基準でできると思うことができないと責めてしまう」
「でも、出来ないことは出来ないのだから、それを責めるのはイジメと同じだと思う」
「だから責めるのではなくて、どこまでなら出来るか、どうやったらできるか、相手の能力を考えて、相手目線で指導しないといけない」
ということでした。私はなるほどと納得してしまいました。
人によって「能力不足」は確かにあるし、本人が自覚して努力、克服することが最も必要ですが、会社にもその人を採用した責任があります。能力の見込み違いは自分たちのせいであり、成長速度が遅いのは、周りの指導に問題があるかもしれません。成果を出しづらい仕事を与えているかもしれません。これを棚に上げて排除しようとするのは、「度量不足」と言わざるを得ません。
「能力不足」といって他者攻撃をしていると、見切りの早い企業風土がどんどん定着していきます。そして組織内での他者攻撃は、確実に業績の足を引っ張ります。
少なくとも「目標達成のためには、現有戦力の能力を最大に発揮させる必要がある」と考えれば、相手目線での指導はとても大切なことです。
他者の「能力不足」を責めるのは、会社にとっても社員にとっても、それぞれの目標達成という面からも、無意味なことではないかと思います。
小笠原 隆夫(おがさわら たかお)
コンサルタント(人事制度、組織活性化、採用支援)
人事制度構築、組織活性化といった人事の悩みは、多くの企業で抱えている のではないでしょうか。
人事コンサルタントとして直面した課題事例や、人の感情ややる気・ムードといった人間の感覚的な切り口を合わせ、みんながハッピーになれる人事、組織とはどんなものなのかを考えて行きたいと思っています。
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