2011/05/01 第14話「被災地を訪ねて」
震災から1ヶ月程経った頃、東日本大震災の被災地を訪れました。石巻、女川、松島、多賀城。どの地も津波で甚大な被害を受けた場所です。北上川の河口、雄勝から女川方面に国道398を下り、石巻に向かいました。テレビで映像などをあれほど毎日見ていたにも関わらず、戦争で爆弾でもおとされたかのように家や車の残骸が広がり、人の気配が全く無く冷たい空気だけが流れるその土地を目の前に、私は覚悟していたはずなのに言葉がまったく出ませんでした。石巻の住宅街は、地盤沈下の影響で市の中心部に近いところも水に浸かったまま。潮位の高い時刻だったのか、国道にもかなりの深さの水が出ており、恐る恐る私たちの車もばしゃばしゃと通り抜けなければならない状況でした。道路わきには、曲がりくねった鉄骨や自動車が高く積み上げられています。よくこれだけ道路を復活させたものだと、自衛隊の姿に感謝と称賛と尊敬の気持ちでした。
震災から1ヶ月経つ頃には、前向きに壊れた家の片づけや商店の再起に立ち上がる現地の人々の話がニュースで流れるようになりましたが、この光景を見て、皆が皆、そんな気持ちに1ヶ月でなれるものなのだろうかと私は思わざるを得ませんでした。町を車で走っていると、あるラインで突然がれきの山となり、ああ、ここまで津波が来たのか、と一目でわかります。同じ町内でも3軒先の家は生活出来ているのに、数十メートルしか離れていない自分の家は津波で全壊という事実。家も家族も失い、町ごと人の姿が無くなってしまったような地域に住んでいた人々。誰にでも同じレベルの前向きモチベーションとたくましさを期待していいのだろうか、人はみんなそんなに強いものなのかと、私はどうしても思ってしまいました。最近テレビで放映されるようになった現地の人々の復興に向けた強い行動は、もしかしたらテレビ用に取り上げたある一面なのだと思いたくなるほどでした。
私にできることはなんだろう。これは多くのみなさんも同じように思っていると思います。
3.11以前の姿、生活に戻りたい。それが現地の人の一番の希望であり、事実、目先の生活を元に戻すことが精いっぱいだと思います。だから、周りにいる私たちは、そのための出来る限りの支援だけでなく、将来に起こりうる事象に対して今からできる行動を始めることも必要だと思いました。たとえば、きっとおこるであろう農作物の食糧難に備えて日本各地が連携して今から計画的に地域の農林業を活発化させることも一つ。被災地の方々が未来を想像できる新しい産業を東北中心に仕掛け、盛り上げ、復興の中心となる若い世代の人が東北に残れる仕組みを作ることも一つ。震災で奇しくも明らかになった経済活動・政治のよどみをかきまぜ、新しい日本の再生につなげる。
被災地を訪ね、現地の人の声を生で聞き、あらゆるものが必要とされている今、私たちに出来ることはきっとたくさんあります。また、我々一人一人が未来を生きる力をつけていかなければいけないと深く感じました。
もし被災地に行くことができるなら、私は一度この光景を見るべきだと思います。がれきの中にたたずんでみるべきです。復興活動の自衛隊の邪魔になるようなことは避けるべきですが、現地に行って何が必要なのかを体で感じてみるべきだと思います。被災地域の復興という意味だけでなく、これほど日本や世界の産業にまで影響を与えた今回の震災で、これからの日本をどう変えていくべきなのかを考える契機になると思うから。日本人として共に生きるモチベーションを高めることができると思います。
今回の訪問で唯一心が和んだのは、多賀城で津波被害にあった知人とその家族が、笑顔で私たちを迎えてくれて、「来てくれてありがとう」と言ってくれた時でした。来てよかった、本当にそう思いました。もしみなさんにも友人や御親戚がいるなら、久々の再会をして、夜飲みにでも行って、楽しい会話で盛り上がってほしいと思いました。