佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション
2011/04/11 生涯絶対に忘れられない『生誕100年 岡本太郎展』
今、私たち日本人の精神は、東日本大震災という過去の「人知を越えた?」危機に、硬直してはならないと思います。今年は岡本太郎生誕100年で、「TARO100祭」イベントが目白押しである。その始まりでもある『生誕100年 岡本太郎展』(東京国立近代美術館 3/8~5/8)は、生涯絶対忘れられないものとなった。ちょうど1ケ月前の3月11日(金)夜間鑑賞に訪ねる予定であったが、故郷宮城含む東日本大地震が発生し、観ることができなくなった。当日は、結局帰宅難民となって、一晩青山学院大学体育館で一睡もしない未曾有の体験をすることとなった。想いは強く、約1ケ月経って日程を確保し、やっと鑑賞することが出来ました。
私は、岡本太郎のアトリエを改築して作った「岡本太郎記念館」(東京都青山)を何度か訪ねており、いつか主要作品をまとまって見る機会を待ちかねていました。今回は、国立美術館で初めての岡本太郎展開催だそうです。若者たちと子供連れが目立ち、明るい雰囲気の会場でした。
絵画、彫刻、写真、デザイン約130点をゆっくりと見て、岡本太郎とは何者なのだろうか、85年の生涯を賭けて何を表現したかったのだろうかという思いが頭から離れません。
今回の展覧会は、大阪万博の「太陽の塔」はじめ、岡本太郎が立ち向かった7つの相手を“対決”というテーマで紹介しています。岡本太郎は、絵や彫刻にとどまらず、壁画、衣装、舞台芸術、飛行船、写真、デザイン、そして出版、テレビ出演など活動は幅広い。
「芸術は爆発だ」という言葉から破壊的と誤解されるが、実は精神の解放を表現している。「絵」と同時に「言葉」が一体で向かってきます。
TAROブームと言える程、雑誌や本の出版がこれ程多い芸術家は最近いないのではないでしょうか。
『美術手帖』(3月号)、『ぴあ』(4/14号)、『和楽』(4月号)、『カーサ ブルータス』(4月号)、『別冊太陽 岡本太郎新世紀』など。また、著作の読み直しといえる『岡本太郎の宇宙全5巻』(ちくま学芸文庫)が『対極と爆発』『伝統との対決』等刊行が始まった。
今回、展示会より公式画像12枚をお借りして、弊社BIPWebサイト上に掲載してご紹介致します。今回の展示会は5月8日までですので、是非早めにご覧になることをお薦めします。
(プロローグ)『ノン』 -岡本太郎は何者だ。「職業は人間かな!?」(岡本太郎)
美術家、建築家、デザイナー、人類学者、タレント・・(略)・・。岡本太郎は何者だろうと、既存の職業パターンで考えていたら、展示会場のビデオ映像から「職業は人間かな?!」という岡本太郎さん自身の言葉にビックリしたと同時に深く考えさせられました。領域を越えて、人間の生き方を問い続けた凄い日本男子がいたものだ。『午後の日』-「無邪気さと、どこか不穏な空虚さ。こうした両義的性格は、まさに岡本太郎の本質である。」という。(カタログ 参考文献1)展覧会のキーワードである“対決”という意味があるのだろうが、私は“複眼”“矛盾同居”という言葉が似合うような気もした。
画像:午後の日 1967 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
今回の展覧会では入場してすぐの導入部で彫刻『ノン』が待っている。岡本太郎の芸術と精神に向き合ってほしい、傍観者にならないでほしいという岡本太郎の精神を伝える主催者の思いが伝わってきます。
画像:ノン 1970 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
(1)ピカソとの対決(パリ時代)-ピカソに出会い、“ピカソを越える”と公言した日本男子
「これだ! 全身が叫んだ。」(岡本太郎『青春ピカソ』参考文献3)1932年の夏、パリ大学在学時代に画廊でピカソの作品<<水差しと果物鉢>>と出会い、衝撃を受ける。そして、ピカソを越える決意をするとは凄い。しかも、それを堂々と発言する日本人は他にいるのだろうかと私の方が衝撃を受けました。モースに学んだ民俗学、バタイユらとの交友は、その後の精神的素地になったかもしれない。
当時、パリの二大潮流であった「抽象絵画」と「シュルレアリスム」(超現実主義)の作家と交流しながらも、両方とも違う独自の世界を模索した。
『傷ましき腕』は、「純粋抽象と決別し、現実との対決に踏み込んだ転換点の作品」だという。
『空間』では、「布の柔らかさと棒の硬さといった蝕感が強調されている。また、その対照的な質感の対比は、彼が戦後に提唱する「対極主義」にも通じるものがある。」(カタログ 参考文献1)
画像左:傷ましき腕 1936/49 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
画像右:空間 1934/54 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
(2)「きれい」な芸術との対決(対極主義)-日本美術界の旧態依然の状況を「絵画の石器時代」と呼び、花田清輝らと「夜の会」、「アヴァンギャルド芸術研究会」を結成して新しい芸術運動
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」(岡本太郎『今日の芸術』参考文献4)岡本太郎の活動の骨格となる思想、姿勢、方法論である対極主義。抽象絵画という「合理主義」、ダダイスム及びシュルレアリスムを指す「非合理主義」の偏向から脱却し、矛盾のままぶつけあって創造する芸術を「対極主義」と名付けて提唱した。
『森の掟』-「背中にチャックのついたハリボテの猛獣が平和な森に乱入し、生き物たちが逃げまどう。・・(略)・・悲惨と滑稽が同居する・(略)・・」絵であるが、特に意味はないという。(カタログ 参考文献1)
『駄々っ子』-鋭角的表現の左は、駄々っ子のタロー、曲線的な表現の右は桃色の犬という。大人になっても駄々っ子精神を失わなかったタローの好きなモチーフだったと言われています。
画像左:駄々っ子 1951 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
画像右:森の掟 1950 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
(3)「わび・さび」との対決(日本再発見)-“縄文土器の美”で美術史を変えた。
岡本太郎はカメラマンでもあった。マン・レイに習い、腕には定評があったと敏子さんが著作で述べている。縄文土器や沖縄、東北の風景写真が展示会場に広がっています。1951年11月、東京国立博物館で展示された縄文土器に衝撃を受けた岡本は、「縄文土器論 四次元との対話」(『みずゑ』1952年2月)、『日本の伝統』(1956年)を発表。従来、考古学、民俗学、人類学の枠組みであった縄文土器の造形芸術の可能性を指摘した。「わび・さび」など日本の伝統美の固定的観念からの脱却を主張し、日本美術史に影響を与えた。
「余談になりますが、岡本太郎が、『日本の伝統』という本の中で最も持ち上げているのは、実は尾形光琳なんです。」と山下裕二氏が述べています。私の好きな琳派を岡本太郎さんが好きだったとは意外な発見でした。(『岡本太郎と語る』参考文献5)
1957年には、日本各地を取材して、『芸術新潮』に写真と文章の「芸術風土記」を連載した。
画像左:土偶(群馬県出土)撮影:岡本太郎 1956 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
画像右:縄文土器(富山県出土)撮影:岡本太郎 1956 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
(4)「人類の進歩と調和」との対決(大阪万博)-“ベラボーな<<太陽の塔>>で人類を複眼で見よと”原始的なものを対置した。
「人間はすべてその姿のままで宇宙にみち、無邪気に輝いているものなのだ。<<太陽の塔>>が両手を広げて、無邪気に突っ立っている姿は、その象徴のつもりである。素っ裸の心で、太陽と、宇宙と合体する。」(『日本万国博 建築・造形』 1971年)大阪万博会場での生命の進化を表現した立体的構造と流れがわかるように大きな画面を使っての展示が凄い。実際に行ったことのない若い世代にも、その迫力を伝える工夫をしています。
ご存知の通り約70Mの大阪万博<<太陽の塔>>。今回会場では、その当時の映像と共に50分の1サイズの縮小版<<太陽の塔>>が展示されています。
画像:太陽の塔 1970 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
(5)消費社会との対決(パブリックアート、デザイン、マスメディア)- 一人になっても信念を曲げない「異端者?」が、「大衆化=通俗化」を演じた真意は?
美術作品を誰の眼にも触れることができるようにと、岡本太郎は壁画や野外彫刻などのパブリックアートを数多く手がけています。また、芸術を生活の中に導入するとの思いから、テーブル、イス、食器、時計、ネクタイ、スカーフのデザインも沢山しました。晩年には、メディアへの出演も多い。岡本太郎の作品で、会場に展示されていた<<座ることを拒否する椅子>>に座ってみました。安定でなく、刺激をくれるカラフルな造形です。他にも<<顔の時計1967>>、<<顔のガラス1976>>、<<水差し男爵1977>>などユニークなプロダクトデザインが展示されています。ミュージアムショプも楽しい。プロダクトの種類が多いです。
『美術手帖3月号』『カーサ ブルータス4月号』では、パブリックアート全国マップを掲載しています。
名古屋久国寺釣鐘 <<歓喜>>
栃木鹿沼市民文化センター <<夢の樹>>
山形県寒河江市ロビー <<生誕>>
長野野沢温泉村役場前 <<乙女>>
愛知日本モンキーパーク <<若い太陽の塔>>
広島日本はきもの博物館 <<足あと広場>>
徳島大塚製薬徳島研究所 <<いのちを踊る>>
そごう横浜店屋上 <<太陽>>
渋谷マークシティー <<明日の神話>>
渋谷こどもの城 <<こどもの樹>>
渋谷NHKスタジオパーク <<天に舞う>>
銀座数寄屋橋公園 <<若い時計台>> など、全国各地で見ることができます。その多さに驚きました。
画像左:夢の鳥 1977 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
画像右:こどもの樹 1985 川崎市岡本太郎美術館 © 岡本太郎記念現代芸術振興財団
(エピローグ)“太郎巫女(みこ)”と呼ばれた敏子は、太郎ユニット
岡本太郎の実像を知り、私は岡本太郎が突き立てたものを自問自答しています。そんな気持ちになる後押しをしたのは、“太郎巫女(みこ)”と呼ばれた岡本敏子さんというパートナーの存在を知ったことが大きい。秘書でパートナーとして、ほとんどの口述筆記で岡本太郎の言葉を共同創作した。太郎さん亡き後、出版や記念館オープンなどで、岡本太郎の再評価という風潮をつくったのも彼女である。太郎さんは、こんな凄い女性とペアだったのだ。「岡本太郎は絵も描いたし、文章も書いた。彫ったり、喋ったり、全身で訴えるパフォーマンスもある。スポーツも、音楽も、ダンスも、そのすべてが彼の表現だし、遊びなのだ。
この本でそういう岡本太郎の全体像を、ちょうどプライベートなアルバムをめくるように、楽しく見てもらいたいと思った。・・・(略)・・・
こんな日本人がいた。この国に生きていたんだ、ということを、今、なんだか元気がなくて、しょんぼりと行く先を見失ったような人々に突きつけたい。
いいなあ、と思ったら、あなたも岡本太郎になるのだ。」(岡本敏子『岡本太郎の遊ぶ心』参考文献2)
“青春岡本太郎”を楽しんでみませんか。
以上
『生誕100年 岡本太郎展』
会場:東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
会期:2011年3月8日(火)~ 5月8日(日)
開館時間:午前10時~午後4時 ※当初の予定と変更となっております。詳細は公式サイトでご確認下さい。
休館日:月曜日[3月21日、3月28日、4月4日、5月2日は開館]、3月22日(火)
主催:東京国立近代美術館、川崎市岡本太郎美術館、NHK、NHKプロモーション
お問い合せ:ハローダイヤル 03-5777-8600
公式WEBサイト:http://taroten100.com
(参考文献)
1.編集 東京国立近代美術館 『生誕100年 岡本太郎展』カタログ(発行 NHK、NHKプロモーション 2011年)
2.岡本敏子『岡本太郎の遊ぶ心』(講談社 2005年3月第一刷)
3.岡本太郎『青春ピカソ』(新潮文庫 新潮社 2000年7月)
4.岡本太郎『今日の芸術』(知恵の森文庫 光文社 2005年5月)
5.岡本太郎記念館『連続講座 岡本太郎と語る 01/02』(二玄社 2003年5月)
6.『美術手帖-生誕100年記念特集 岡本太郎』(美術出版社 2011年3月号)
7.『ぴあ』(ぴあ株式会社 2011年4月14号)
8.『和楽』(小学館 2011年4月号)
9.『カーサ ブルータス-あなたの知らない岡本太郎100』(マガジンハウス 2011年4月号)
10.『別冊太陽 岡本太郎新世紀』(平凡社 2011年3月)
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佐々木 昭美(ささき あきよし)
取締役会長 総合研究所所長
経営コンサルタント(経営改善、事業開発、ビジネスモデル、 人事戦略、IPO、M&A、社外取締役)
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