佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

 INDEX 

2010/05/31 サルコジ仏大統領が“二度と一括で海外に出ない”と絶賛する『オルセー美術館展2010 「ポスト印象派」』が国立新美術館で豪華開催!

 パリのオルセー美術館が、そのままに六本木にやって来ました。超多忙の合間に、弊社赤坂事務所に近い国立新美術館で先週26日より開催された『オルセー美術館展2010「ポスト印象派』(5/26~8/16)を鑑賞しました。

19世紀後半から20世紀初頭フランスの自然・都市・家族と共に、画家の息吹・鼓動・思い・苦悩・希望、発する匂いさえも直接伝わってくる臨場感。大勢の来場者の展覧会は、感動がもたらす深い静けさに満ちていました。

 今回も国立新美術館のご協力で画像19点をお借りして、皆様に弊社ホームページでご紹介することができました。エッセイと共に楽しみながら、是非『オルセー美術館展2010「ポスト印象派」』に足を運んで希有な企画をご覧頂きたいと思います。

(1)パリ オルセー美術館誕生(1848年から1914年名画・彫刻・建築・写真・装飾芸術の宝庫)


参考書籍” 参考書籍”
 オルセー美術館は現在改修工事の最中で、この間日本東京、豪州キャンベラ、米国サンフランシスコの3国3都市で「オルセー美術館展」が開催されます。フランス共和国ニコラ・サルコジ大統領は、本展へのごあいさつでこう述べています。

「今回のように、オルセー美術館の100点を超える傑作が一挙に展示されることは極めて異例のことであり、展覧会が終わってこれらの作品が返却されると、同美術館から将来再び一括して外に貸し出されることはおそらくないでしょう。私といたしましては、このような希有な企画が日本の皆様の関心の的となり、貴国と我が国の絆を一層強めるきっかけになることを願ってやみません。」(参考文献1)

 オルセー美術館は、パリの真ん中で、ルーヴル美術館と国立近代美術館(ポンビドー・センター)と近い中核美術館群を形成しています。1900年に近代化の象徴として建設されたオルセー駅を美術館に改築し、1986年12月にオープンしました。

 1801年ナポレオンによって市民に開放されたルーヴル美術館には、先史時代の埋蔵品から19世紀半ばまでの絵画や彫刻。1977年に開館したポンビドー・センター内にある近代美術館は20世紀美術。オルセー美術館は、19世紀半ばから20世紀初頭までを所蔵し、ルーヴル美術館と近代美術館の間を埋める美の殿堂として役割が明確です。

(2)絵を楽しむ百万通りのスタイルがあって良い
-辻 仁成『オルセー印象派ノート』、齋藤孝『齋藤孝のざっくり!美術史 5つの基準で選んだ世界の巨匠50人』-

参考書籍”
 美術の楽しみ方に大きな味方を見つけました。作家・映画監督辻仁成さんと明治大学文学部教授齋藤孝先生です。絵の楽しみ方は、百万通りのスタイルがあって良いのです。
 
【辻仁成流・絵画鑑賞術:Ⅰオルセーの名画で綴る小説『或る女の一生』Ⅱオルセーの巨匠のアトリエ紀行】
フランス在住の辻仁成さんが、ユニークな『オルセー印象派ノート』(参考文献2)を出版。私は国立新美術館でカタログと一緒に購入しました。辻さんは、下記のオルセーの名画10作品をモチーフに小説『或る女の一生』を創作しました。絵と言葉のコラボはイマジネーションが楽しいですね。

ヴァロットン「ボール」、ルソー「戦争」、ドガ「階段を上がる踊り子」、ロートレック「赤毛の女」、ボナール「ベッドでまどろむ女」、ドニ「木々の中の行列」、ベルナール「愛の森のマドレーヌ」、ゴーギャン「レ・ザリスカン」、モネ「日傘の女性」、ゴッホ「星降る夜」
(ほとんどの作品は次項以降で紹介しています。)

 オルセー巨匠のアトリエ紀行面も、写真と情報が素晴らしい。新たなフランス旅行のアイデアにもどうぞ。

【齋藤孝流・美術楽しみ術:「うまさ」「スタイル」「ワールド」「アイデア」「一本勝負」の5基準で選ぶ楽しみ】
 絵を見ることを難しく感じている方も多いようです。絵のうまくない私も以前は同じ思いでした。齋藤先生は、大きな原因は「わからないこと」とズバリ指摘しています。その原因は、私たちの絵の優劣や知識の多少ではなく、美術教育に一因があると解明しています。

 実は、人間はもとよりハトもモネとピカソの絵を見分けるという実験を紹介し、知識はなくても絵のスタイルは見分けられることに注目して、齋藤孝流の美術の新しい見方を提案しています。「うまさ」「スタイル」「ワールド」「アイデア」「一本勝負」の5基準で選ぶことです。詳細は今回省略します。『齋藤孝のざっくり!美術史 5つの基準で選んだ世界の巨匠50人』(参考文献5)をお読み願います。

(3)ビックリしますよ!画家の多彩な様式・表現・差異・野心の魔力に魅了される。
-ギ・コジュヴァル オルセー美術館館長が自ら総監修したオルセー美術館展2010「ポスト印象派」-


図録” 国立新東京美術館” オルセー美術館展にて”

 ギ・コジュヴァルオルセー美術館館長が自ら総監修した画家の様式・表現の差異性に注目した構成に沿って、粗雑ですが私の印象と簡単な紹介を書いてみました。日本美術との交流を示す作品展示も多いです。皆様と感想を交わす機会を楽しみにしています。

<第1章 1886年-最後の印象派:モネ、ベナール、ドガ、シスレー、ピサロ>
クロード・モネ 睡蓮の池、緑のハーモニー 1899年 油彩・カンヴァスⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF” エドガー・ドガ 階段を上がる踊り子 1886-90年	油彩・カンヴァスⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF”
※画像左:クロード・モネ 睡蓮の池、緑のハーモニー 1899年 油彩・カンヴァスⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
※画像右:エドガー・ドガ 階段を上がる踊り子 1886-90年 油彩・カンヴァスⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

【クロード・モネ 「睡蓮の池、緑のハーモニー」「日傘の女性」「ボルディゲラの別荘」「ノルウェー型の舟で」「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光】
 光の効果を追求し続けたモネの5作品が見られます。1883年ノルマンディー地方のジヴェルニーに移住した。池をつくり、日本風の太鼓橋もかけ、「水の庭」をつくった。生涯のテーマとなった睡蓮の池は200点以上描いたという。「睡蓮の池、緑のハーモニー」は1899年作品。齋藤孝先生は、「もの」ではなく「光」を表現したスタイルの画家として紹介しています。「自然の美しさ」は、日本人の美意識にフィットして人気の画家ですね。

 「日傘の女性」は1886年作品。特に女性参加者には超人気であった。日傘で輝く光と風を遮る優雅なモデルは新たな伴侶の連れ子シュザンヌである。色鮮やかな自然と一体となった明るい独特の表情表現の女性画ですね。

【エドガー・ドガ 「階段を上がる踊り子」】
 ドガは、「踊り子の画家」として人気を博し、全作品の半数をこの主題としたという。この作品は構図や幅が広い形式など日本美術の影響を受けていると言われています。

また、「画面には、明らかに写真の影響が認められる。まず手前の3人の踊り子のポーズは、一連の動きを時間とともに追ったようにも見え、・・(略)・・写真の効果自身の絵画言語に巧みに取り入れたと言える。」(参考文献1:P041)

19世紀写真の浸透は、ポスト印象派に繋がる大きな影響であったと言われる。監修者の専門的知識に裏付けられた作品選びの妙を感じました。

<第2章 スーラと新印象主義:ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック、カミーユ・ピサロ等>
ジョルジュ・スーラ ポール=アン=ベッサンの外港、満潮 1888年	油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF” ポール・シニャック マルセイユ港の入り口 1911年 油彩・カンヴァス  Photograph:Jean Bernard”
※画像左:ジョルジュ・スーラ ポール=アン=ベッサンの外港、満潮  1888年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
※画像右:ポール・シニャック マルセイユ港の入り口 1911年 油彩・カンヴァス Photograph:Jean Bernard

【ジョルジュ・スーラ 「ポール=アン=ベッサンの外港、満潮」等10作品】
 スーラの10作品を取り上げており、独特の点描絵画は私にとって新しい発見でした。齋藤孝先生は、「点描」という「一本勝負」の元祖として紹介しています。

スーラは、「印象派の技法を理論化した点描技法を編みだし、新印象派と呼ばれた。点描技法は、綿密に組み立てた構図に沿って、原色の絵具を点のような細か筆致で埋めていく画法で、明確な形態を透明感あふれる色彩で描くことができた。」(参考文献4:P119)

【ポール・シニャック 「マルセイユ港の入り口」「井戸端の女たち」】
 シニャックは、4歳上のスーラに感化され、点描技法を始めたという。「マルセイユ港の入り口」は、1911年南仏サン=トロペに近い大きな港町、マルセイユ港の眺めを描いた作品。

海を愛した作品は、「特有のモザイクのような大き目のタッチで満たされ、華やかな装飾性に溢れている。・・(略)・・スーラやピサロ同様に無政府主義者であったシニャックは、水辺に満ちた光景に理想郷を見ていた。」(参考文献1:P073)19世紀パリは、政治も美術も多様性に満ちていたに違いない。

<第3章 セザンヌとセザンヌ主義:ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、モーリス・ドニ、パブロ・ピカソ>
ポール・セザンヌ 水浴の男たち 1890年頃 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF” ポール・セザンヌ 台所のテーブル(篭のある静物) 1888-90年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF” モーリス・ドニ セザンヌ礼賛 1900年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF”
※画像左:ポール・セザンヌ 水浴の男たち 1890年頃 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
※画像中央:ポール・セザンヌ 台所のテーブル(篭のある静物) 1888-90年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
※画像右:モーリス・ドニ セザンヌ礼賛 1900年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

「近代絵画の父」「20世紀美術の父の一人」とされるセザンヌ。それにしても、セザンヌの個展は1895年56歳と評価は遅かった。1880年代、セザンヌは印象派と距離を置き、静物・故郷エクス風景・肖像・裸体のテーマで古典主義を継承した構築的筆触を大事にしたという。齋藤孝先生は、現実よりも存在感のある画面構成を大事にしたスタイルの画家と紹介しています。「主観」と「存在感」を絵画に表現し、ピカソにも影響を与えました。

【ポール・セザンヌ 「水浴の男たち」「台所のテーブル」等8作品】  
 「水浴の男たち」は1890年頃の作品。「水浴画」は生涯追求したテーマで素描や版画含め200点以上描いている。三角形の構図の中で風景と複数の人物を構図、形態、色彩等で限りない調和を目指したものといわれています。

 「台所のテーブル」は、一見落ち着かない空間的構成に意外感を抱いた。専門家の言葉による解説は嬉しい。「セザンヌは、それまでに手がけた中で最も奥行きの深い空間に、複数の視点から捉えた対象を巧みに構成している。・・(略)・・縄飾りのある青みがかった壺は、上からの視点で捉えられる一方、金色の縁のある砂糖壺、ピッチャー、梨やりんごなどの果物は、横からの視点に基づく。・・(略)・・大きな籠は、宙に浮いたように見える。室内全体にも異なった複数の空間がひしめき合うが、伝統的遠近法から大きく逸脱した構成は、画面の調和をめざした創意の所産であろう。」(参考文献1:P079)

【モ-リス・ドニ 「セザンヌ礼賛」】
 ドニはセリェジエらと共に1988年ナビ派に参加した。本作は、画商ヴォラールの店に集まったナビ派の集団肖像画で、セザンヌの静物画を囲んでいる有名な作品である。ドニは、セザンヌの絵画の堅固さ・統一性・客観性等古典的作風に魅了されていた。セザンヌだけでなく、左端象徴主義の巨匠ルドンやナビ派の師ゴーギャンへの礼賛でもあるという。絵そのものが、「ポスト印象派」の美術史となっている。

<第4章 トゥ-ルーズ=ロートレック>
アンリ・ド・トゥール-ズ=ロートレック 女道化師シャ=ユ=カオ 女道化師シャ=ユ=カオ 女道化師シャ=ユ=カオ 女道化師シャ=ユ=カオ  1895年 油彩・厚紙 ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF”
※画像:アンリ・ド・トゥール-ズ=ロートレック 女道化師シャ=ユ=カオ  1895年 油彩・厚紙 ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 アンリ・ド・トゥ-ルーズ=ロートレックは、南フランス貴族の家に生まれたが、幼少の事故で両足の成長が止まり、不自由な生活を余儀なくされ、画家をめざし1882年パリに出たといわれる。モンマルトルのカフェやダンスホールにおける夜の歓楽世界に惹かれ、その人間模様を描いた。

【アンリ・ド・トゥ-ルーズ=ロートレック 「女道化師シャ=ユ=カオ」等3作品】
「女道化師シャ=ユ=カオ」は1895年の作品。「肌の白、飾り襟や頭につけたリボンの黄色、コスチュームの青、壁紙の緑、長椅子の赤は、それぞれ互いの色の美しさを引き立たせており、色彩の鮮やかさは本作品の魅力となっている。」(参考文献1:P100)

<第5章 ゴッホとゴーギャン>
フィンセント・ファン・ゴッホ 自画像 1887年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Gérard Blot / distributed by AMF” ポール・ゴーギャン《黄色いキリスト》のある自画像 1890-91年	油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF” フィンセント・ファン・ゴッホ 星降る夜 1888年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF”
※画像左:フィンセント・ファン・ゴッホ 自画像 1887年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Gérard Blot / distributed by AMF
※画像中央:ポール・ゴーギャン《黄色いキリスト》のある自画像 1890-91年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF
※画像右:フィンセント・ファン・ゴッホ 星降る夜 1888年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 ゴッホとゴーギャンの交流と共同生活という希有な経緯を初めて知りました。気質や美意識の異なる二人の短期の別離は無理もないと思ってしまう程、二人の作品は誰でも判別できる程キャラがひときわ輝いていると思います。皆様、どう思いますか?

【フィンセント・ファン・ゴッホ 「自画像」「星降る夜」「アルルのゴッホの寝室」等7作品】
 ゴッホは、学校教科書に登場し少年期に知った画家ですが、美術史上の意味を読んだのは初めてです。1853年オランダで生まれ、牧師と画商の家で育った。ゴッホも画商の道を踏み出したが、1876年に断念しベルギーで神学研究も、1880年絵画めざしオランダで独学。1885年支えた父がなくなって、1886年画商弟テオに会うためパリにやってきた。

 「自画像」は、1887年作品。極端な点描画法と派手な色調は、スーラとの出会い、日本版画の発見、仲間からの影響が大きいと言われる。ゴッホは、1886年から2年余で約28点の自画像を描いた。

 「星降る夜」は、1888年作品。夜空に大熊座を描き、星が輝くローヌ河畔の風景は、アルルの街を好んだゴッホのモティーフのひとつである。暗い内面が漂う「自画像」と異なり、無数の星の光と腕を組んだカップルの姿は希望や愛の福音を表現した幻想的な光景ですね。

【ポール・ゴーギャン 「<<黄色いキリスト>>のある自画像」「タヒチの女たち」「ブルターニュの農夫たち」「黄色い積みわら」等8作品】
 4年前訪れたボストン美術館でのゴーギャンとの出会い以来、私はタヒチのゴーギャンという明るいイメージが残り、好きになった。ゴッホへの手紙の中で、ゴーギャンは「私のなかにある野生」を描きたいと述べているという。齋藤孝氏は「自分だけの楽園を見つけた幸福」を表現するタヒチワールドを創った画家として紹介しています。

 「<<黄色いキリスト>>のある自画像」からは、非西洋的雰囲気が伝わる。「受難者」と「野蛮人」を内に抱える複雑な内面を描いているという。しかし、彼は「野蛮さ」を示す壺に顔を向けていますね。

 「タヒチの女たち」
1891年タヒチに渡った初期の作品。タヒチの自然な日常を、色鮮やかな装飾性を持って「野生」の強い香りを放っている。タヒチ滞在2年間で約80点の油彩画を制作した。

<第6章 ポン=タヴェン派:エミール・ベルナール、ポール・セリュジエ、シャルル・ラヴァル等>
エミール・ベルナール 愛の森のマドレーヌ(画家の妹) 1888年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF”
※画像:エミール・ベルナール 愛の森のマドレーヌ(画家の妹) 1888年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 1500人の住民が暮らす美しい村ポン・タヴェンの3軒の宿屋が世界の芸術家を迎い入れた。ポン・タヴェンで、ベルナールはゴーギャンと出会い、二人は総合主義という新しい絵画理論の創造に携わった。グループや統一した主義はないが、確かにある種の共通する雰囲気が感じられますよ。

【エミール・ベルナール 「愛の森のマドレーヌ」「水浴の女たちと赤い雌牛」等4作品】
 「愛の森のマドレーヌ」は、通称「愛の森」で3歳年上のベルナールが17歳の妹マドレーヌを描いた1888年の作品。カンヴァスいっぱいに横たわるマドレーヌをクロワゾニスムという手法で、くっきりとした黒い輪郭線で姿を描いています。この様式は、有線七宝(エマイユ・クロワゾネ)やステンドグラス、日本の浮世絵版画に影響を受けているという。

<第7章 ナビ派:ポール・セリュジエ、モーリス・ドニ、エドゥアール・ヴュイヤール、ピエール・ボナール、フェリックス・ヴァロットン>
ピエール・ボナール 格子柄のブラウス(20歳のクロード・テラス夫人) 1892年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF” モーリス・ドニ 木々の中の行列(緑の木立) 1893年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF”
※画像左:ピエール・ボナール 格子柄のブラウス(20歳のクロード・テラス夫人) 1892年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
※画像右:モーリス・ドニ 木々の中の行列(緑の木立) 1893年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 「ナビ」とはヘブライ語で「予言者」。1888年ポール・セリュジエが、ゴーギャンの指導で書いた作品「護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川」を発端にナビ派を結成。

【ピエール・ボナール 「格子柄のブラウス」「ヴュイヤールの肖像」「白い猫」】
 「格子柄のブラウス」は、作曲家クロード・テラスと結婚した妹アンドレを描いた1892年の作品。ブラウスの赤い格子柄が主題。模様を切り取って貼り付けたように平面的な表現である。縦長の判型も含めて日本美術に傾斜した作品と言われています。

【モーリス・ドニ 「木々の中の行列」「ミューズたち」等5作品】
 何を表現したのか最後までわかりませんでした。マルト・ムリエとの結婚を祝福する作品と言われています。シンプルなグラフィックで、アールヌーヴォー的雰囲気が感じられますね。「色数を限った平坦な画面には、日本の浮世絵の影響が色濃く、ドニの絵画の中でもとりわけ抽象性の高い構図のひとつである。」(参考文献1:P156)

 ドニの芸術論著作のタイトル「理論(テオリー)」は、古代ギリシャ後の「テオーリア」を語源とする。「見ること」「観照」に加えて「行列」の意味があるという。ドニはどんな意識を「行列」に表現したのでしょうか?

<第8章 内面への眼差し:ギュスター・モロー、ピエール・ビュヴィ・ド・シャヴァンヌ、オディロン・ルドン、エドゥアール・ヴュイヤール等>
ギュスターヴ・モロー オルフェウス 1865年 油彩・板 ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF” ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ 貧しき漁夫 1881年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF”
※画像左:ギュスターヴ・モロー オルフェウス 1865年 油彩・板 ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
※画像右:ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ 貧しき漁夫 1881年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

【ギュスター・モロー 「オルフェウス」】
 1866年サロンに出品された「オルフェウス」は、ギリシャ神話の詩人で堅琴の名手オルフェウスへの着想を新たなエピソードで幻想的に描いている。

モローは、官立美術学校、新古典主義を学び、イタリア留学でルネサンスや古代美術を深めた。1864年サロンに出品した「オイディプスとスフィンクス」で高く評価された。絵画の王道である伝統的ジャンルに詩情溢れる幻想的世界を創出したといわれる。官立美術学校で教鞭をとり、門下からマティス、ルオーらフォーヴィズムの優れた画家を輩出した。

【ピエール・ビュヴィ・ド・シャヴァンヌ 「貧しき漁夫」】
 シャヴァンヌは「19世紀の最大の壁画家」と称され、公共建築に物語や神話の装飾壁画を描いた。同時に、革新的造形絵画もサロンに出品し続けた。

「貧しき漁夫」は1881年の作品。妻を亡くした漁夫と2人の子供を描いている。簡略化された色彩と構図や抑制された描写によって人間の内面を表現する新しい潮流を先取りしたとされる。シャヴァンヌは、ゴーギャン、スーラ、ドニ、マティス、ピカソ、ロダンらに大きな影響を与えた芸術家として有名であると初めて知った。

<第9章 アンリ・ルソー>
アンリ・ルソー 蛇使いの女 1907年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF” アンリ・ルソー 戦争 1894頃 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Droits réservés / distributed by AMF”
※画像左:アンリ・ルソー 蛇使いの女 1907年 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
※画像右:アンリ・ルソー 戦争 1894頃 油彩・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Droits réservés / distributed by AMF

 アンリ・ルソー作品の独特なスタイルの美学に注目した。図像喰らい(イコノファージュ)の野心家であった。第2帝政時代に一兵卒で入隊し、メキシコで軍務についた。除隊後、税関史となり独学で画家となった。

【アンリ・ルソー 「蛇使いの女」「戦争」】
 「蛇使いの女」の巨大な蛇と水鳥の息づく静寂な夜の大構図は、その神秘性において際立った傑作とされる。本展のカタログ表紙を飾っている。蛇たちの動きからは動画的リズムも感じられますね。

 「戦争」は、1894年アンデパンダン展に説明文を添えて展示した。戦争は、恐ろしいものと書いていた。絵は、転がる死体の一方、戦いの女神ベローナが歯をむき出しで怯える少女の顔つきによって、悲痛と破壊の印象を遠くに押しやっている造形上の表現は斬新で不思議さを感じさせる。

<第10章 装飾の勝利:モーリス・ドニ、ケル=グザヴィエ・ルーセル、エドゥアール・ヴュイヤール、ピエール・ボナール>
エドゥアール・ヴュイヤール 公園 戯れる少女たち 1894年 デトランプ・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Jean Schormans / distributed by AMF、公園 質問 1894年 デトランプ・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Jean Schormans / distributed by AMF、公園 子守、会話、赤い日傘 1894年 デトランプ・カンヴァス ⒸRMN (Musée d'Orsay) / Jean Schormans / distributed by AMF”
※画像:エドゥアール・ヴュイヤール 公園 戯れる少女たち 1894年 デトランプ・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Jean Schormans / distributed by AMF、公園 質問 1894年 デトランプ・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Jean Schormans / distributed by AMF、公園 子守、会話、赤い日傘 1894年 デトランプ・カンヴァス ⒸRMN (Musée d’Orsay) / Jean Schormans / distributed by AMF

 ナビ派の画家たち、特にボナールとヴュイヤールは舞台装飾、演劇のポスターやプログラムなど印刷物を多く手がけた。新しい絵画技法やグラフィックに挑戦すると共に、作品のサイズを拡大させる方向に向かった。
 
【エドゥアール・ヴュイヤール 「公園」】
 「公園」は、ナタンソン邸内の食堂を兼ねたサロンに飾られた連作の一部である。パリの公園の情景。ヴュイヤールは、代表作の多くで家族の私的な風景を主題としたという。

最近「美術鑑賞のエッセイが多いですね」とたまに言われます。旅行に次ぐ趣味ですが、「王さん流ホームラン型」の時間と金がかかる旅行と比べて、「イチローさん流ヒット型」の美術鑑賞は短時間でできる趣味であると先般エッセイで書いたことがあります。(BIエッセイ2010/03/15 『「仕事」と「遊び」の「シーソー」試論? リーダーこそ身近で気軽なリフレッシュで活力を!』詳細はこちら>>

今年上期は、3月ルノワール展、4月ボストン美術館展、そして5月オルセー美術館展と西洋絵画の大型企画が続きます。「イチローさん流ヒット型」の遊びの絶好の機会でした。仕事と共に遊びも大切にしたいものです。

【オルセー美術館展 2010 「ポスト印象派」】
会期:2010年5月26日(水) – 8月16日(月)
開館時間:午前10時 – 午後6時、金曜日は午後8時まで(入場は閉館の30分前まで)
休館日:毎週火曜日
会場:国立新美術館 企画展示室2E
 東京都港区六本木7-22-2
 http://www.nact.jp/

以上

(参考文献)
1.編集 国立新美術館・日本経済新聞社『オルセー美術館展2010「ポスト印象派」』カタログ(日本経済新聞社 2010年5月)
2.辻 仁成『オルセー印象派ノート』オルセー美術館展2010「ポスト印象派」オフィシャルBOOK(世界文化社 2010年5月)
3.別冊太陽『パリ オルセー美術館』(平凡社 2006年9月)
4.監修 島田紀夫『オルセー美術館の名画101選』(小学館 2010年5月)
5.齋藤孝『齋藤孝のざっくり!美術史 5つの基準で選んだ世界の巨匠50人』 (祥伝社 2009年11月)
6.『日本経済新聞』2010年4月11日号、4月18日号、4月25日号、5月2日号、5月4日号、5月5日号、5月16日号、5月26日号
7.佐々木昭美 BIエッセイ2010/03/15 『「仕事」と「遊び」の「シーソー」試論? リーダーこそ身近で気軽なリフレッシュで活力を!

=================================================================

≪BIP ブックモール≫
読者の皆様へより便利に参考情報・参考書籍をご紹介するために、Amazon.co.jpアソシエイト・プログラムを採用しています。
   

トップへ

サービスのご案内

無料相談会

お問い合わせ

コラム「ミニ講座」

BIエッセイ

特集コラム

採用情報

無料メルマガ

無料メルマガ
BIPニュース
配信中!

BIPからのお知らせ、ビジネスに役立つ情報、佐々木昭美のBIエッセイ要約等、月2回配信!

メールアドレス:

東北復興支援

ページ上部へ戻る
Top