佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション
2009/05/11 言葉力を求めて-小椋桂『言葉ある風景』・齋藤孝『1分で大切なことを伝える技術』・松岡正剛『多読術』に出会う
言葉は命、言葉は面白いと意識する場面が多い昨今である。仕事柄、また読書趣味もあるのだろうが、言葉と親しみ、格闘する。小椋桂『言葉ある風景』・齋藤孝『1分で大切なことを伝える技術』・松岡正剛『多読術』は、言葉の重要性と付き合い方を改めて教えてくれた。気軽に読める小冊子である。著者のテキスト(内容)とスタイル(表現方法)に臨場感もって触れて頂きたく、引用を多くご紹介します。小椋桂(おぐら・けい)さんは、皆さんよくご存知のシンガーソングライターである。「シクラメンのかほり」「夢芝居」など覚えている曲が多いと思います。言の葉は、絵や音に消されてはならないという思いが、中学生にも読める文章で弾んでいる。
齋藤孝(さいとう・たかし)さんは、明治大学文学部教授でよく知られた身体論、コミュニケーション論の専門家である。学生に「3色ボールペン」使用を推奨しているのは有名ですね。一分間の感覚に勝負するこのトレーニングを小学校から訓練したら日本人は変わるだろうと言い、本気でその実践の先頭に立つ。
松岡正剛(まつおか・せいごう)さんは、編集工学研究所長・イシス編集学校校長であり、インターネット上のブックナビゲーション「千夜千冊」は超有名である。「こんな読み方があったのか」(本書帯コピー)と本当に唸った。多読術のスゴイ本だ!でも安心して下さい。読書は、日々の着るものと同じカジュアルなものだと言ってくれている。
(1)言葉の力復権を願う小椋桂『言葉ある風景』
文化放送ラジオ番組で「言葉ある風景」のタイトルで小椋桂さんがお喋りしたことを綴ったものです。エッセイ集あるいは小話集のようでスラスラと読め、ウンウンと何度納得の相づちを打ったことでしょう。恋の言葉は限りなく~『恋や愛について、いろいろな人がいろいろな名言を残しています。・・(略)・・フランスの文豪スタンダールは、「情熱的に恋したことのない男には、人生の半分、それも最も美しい半分が隠されている」と言っています。スタンダールが言うから納得する部分もありますが、反語的に「それでは恋をすると人生全部が分かるのか」というと、「それは嘘」となります。』(参考文献1:45ページ)
私も、高校2年生にスタンダールを読んだ時の熱い衝撃は今でも覚えていますが、40年強経て人生はもっと広く奥深いことも知るようになりました。
言葉の寿命~『言葉には命があり、生まれ、生き、なくなり、死んだりするわけです。最近ではほとんど使われなくなってしまった言葉もたくさんあります。例えば「うら若き乙女(おとめ)」。今では「うら若い」という言い方もしないし、「乙女」という言葉もほとんど使いません。乙女に当たるような人がいなくなってしまったからかもしれませんけど。「亜麻色の髪の乙女」という歌がカバーされ、乙女なんて言葉もあったなと思う人もいるかもしれませんね。」(参考文献1:57ページ)
言葉には寿命があるとの指摘は秀逸です。男性である私としては、乙女の永遠を信じ、残してほしい言葉です。
カタカナになった言葉~『「粋」は、「スマート」に代わったようです。スマートは日本では形が良いものを表現するときに使いますけど、本当は頭が良いという意味なのです。外国人に「あなたスマートですね」と言うと、とても喜びます。相手がたとえ太った人でも。』(参考文献1:60ページ)
最近は、クールという言葉もかっこいいという意味で使いますね。
梅雨の味わい~『「五月雨(さみだれ)」。六月の雨のことをいいます。五月の雨ではありません。同じように「五月晴れ(さつきばれ)」。これも厳密には、六月の梅雨の晴れ間のことを指しますが、最近は五月の晴れ間に使っても良いとされているようです。なぜこういうふうに、月がずれてしまうかというと、季語は旧暦に準じているからなのです。』(参考文献1:76ページ)
日本語は、和漢洋の文明を日本流に統合する中で言葉も変化しています。言葉は生き物なのですね。小椋桂さんは、言葉の復権への強い思いをこう述べています。
『言葉は、その力を信じ込み過ぎると、危険なものです。言葉は、その可能性に寄りかかると、いずれ裏切られるものです。言葉は、巧みな人に悪用されると、危うい世界へ人を導くものです。それが真実だとしてもなお、言葉は、本当のことを知る手立てとして、表現の手段として、またコミュニケーションの道具として、人間が発明したものの中でも、最も重要視されて然るべきものと、私は思っています。』(参考文献1:2ページ)
(2)1分間で十分(じゅうぶん)と説く齋藤孝『1分で大切なことを伝える技術』
齋藤教授は、常にストップウォッチを携帯しているそうです。なぜなら、「1分」の重さを誰よりも痛感しているからです。私も早速、ストップウォッチを手配した。『この本は、ワザについての本だ。だからワザが身についてはじめて意味がある。全文を読んでもストップウォッチを買わないよりは、このあとがきだけを読んでストップウォッチをワザ化するほうが意味がある。そう極論したいほど、私は、コンパクトな一分の話のワザ化にこだわっている。』(参考文献2:209ページ)
このように1分の技術にこだわる背景を率直にズバリ指摘する。
『情報が次々に現れては消える状況で、私たちは「切り捨てる」ことを日々習慣化している。テレビ番組が面白いかつまらないかを判断し、「切り捨てる」のに一分もかけない。人を評価し、切り捨てるのも早い。「バカか、利口か」「使えるか。使えないか」「魅力的か、そうでないか」「誠実か。いい加減か」即座にふるいにかけられる。与えられている時間は短い。私は、自分をアピールできるのは一分程度だと想定している。・・(略)・・一分なら、人は待ってくれる。ならば、大切なことを常に一分でまとめる練習をしてみよう。メールでも一分に読める量に限定してみる。言葉の量と効果は必ずしも比例しない。関係づくりの決めてとなる言葉は、印象的な一言であることが多い。』(参考文献2:3~4ページ)
一分で伝えるには技術が必要だが、それはトレーニングでできると言う。その技術の習得方法は、詳細に書かれている。表現に関する構造と必要な能力も教えてくれる。定価720円(税別)で身につけられるとすれば、お得な教材であると思った。
(3)読書は着るものと同じくカジュアルと論ずる松岡正剛『多読術』
自己啓発本、読書方法論の出版が多く、良く売れている。編集者が松岡正剛氏を本格的読書方法論の真打ちとして登場させた選択は、ドンビシャリと当たり、満点以上の出来映えと感謝する。インタビュー形式なのも、松岡氏の話し言葉が伝わり、一緒に聞いているようでした。弊社スタッフも読んでみて、分かりやすいという。読書は気軽で読者次第で良いという考えに安心したという感想をもらった。
『まず言っておきたいことは、「読書はたいへんな行為だ」とか「崇高な営みだ」などと思いすぎないことです。それよりも、まずは日々の生活でやっていることのように、カジュアルなものだと捉えたほうがいい。たとえていえば、読書は何かを着ることに似ています。読書はファッションだと言ってもいいくらいだけれど、もっとわかりやすくいえば、日々の着るものに近い。』(参考文献3:12ページ)
読書は、著者と読者のコラボレーションという新しい見方を提示する。
『読書というのはいったい何をしていることなのかということを考えてみる必要があります。・・(略)・・つまり読書というのは、書いてあることと自分が感じることが「まざる」ということです。これは分離できません。・・(略)・・ということは、読書は著者が書いたことを理解するためだけにあるのではなく、一種のコラボレーションなんです。ぼくがよくつかっている編集工学の用語でいえば、読書は「自己編集」であって、かつ「相互編集」なのです。・・(略)・・「読む」という行為はかなり重大な認知行為なんです。それは単立した行為ではないんです。複合認知です。』(参考文献3:76ページ)
本はノートである。セイゴオ式マーキング法の意味。
『では、ここからは、ぼくの読書術や多読術の方法の案内になりますが、まずは二つのことをススメておきたいと思います。ひとつには自分の気になることがテキストの“どの部分”に入っているのか、それを予想しながら読むということです。この、「予想しながら」というところがとても大事ですね。もうひとつは、読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感をもつことです。そのことを読みながらリアルタイムに感じることです。この「リアルタイムに感じる」ということが大事です。・・(略)・・そこで、ぼくはこの二つのことをあらかじめはっきりさせるための方法として、読みながらマーキングすることを勧めています。』(参考文献3:82ページ)
以下、目次でテーマ概要はつかめるでしょう。
第1章 多読・少読・広読・狭読
第2章 多様性を育てていく
第3章 読書の方法を探る
第4章 読書することは編集すること
第5章 自分に合った読書スタイル
第6章 キーブックを選ぶ
第7章 読書の未来
読書は傷つきやすいナイーブな行為であるという。なぜなら、読書は他者との交際なのだ。著者と読者の責任は半々でなく、著者三割、読者三割、制作販売三割、のこり偶然が一割という相場だと数字で表現する。読者にも、著者にも優しい。本というメディア観はもっと骨太い。
以上
(参考文献)
1. 小椋桂『言葉ある風景』(祥伝社 2004年6月)
2. 齋藤孝『1分で大切なことを伝える技術』(PHP研究所 PHP新書 2009年1月)
3. 松岡正剛『多読術』(筑摩書房 ちくまプリマー新書 2009年4月)