佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2008/11/10 “美味(うま)し国 伊達な旅”仙台・宮城は、いかがですか

 

―文化の秋 美と人生を味わう(2)―

 秋は旅の季節でもある。
 JR6社と地元仙台・宮城が一体で「美味(うま)し国 伊達な旅」をテーマに仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(2008年10月1日~12月31日)を展開している。『伊達は「格好よい」ことであり、それを体現する奥州の伊達を指し、現代までその言葉は生きている。』(文献5 6ページ)

 私は、昔伊達藩・現在宮城県大崎市(旧田尻町)に生まれ、正真正銘の“伊達男”である。
 2-3ケ月毎に、仕事や帰省等で仙台・宮城を訪ねる機会がある。先日、しばらくぶりで1日自由な時間があり、仙台の瑞鳳殿、仙台城址の伊達政宗像・土井晩翠碑、仙台市博物館・宮城県美術館、そして母校東北大学片平キャンパスを訪ねた。
仙台の瑞鳳殿←瑞鳳殿 伊達政宗像←伊達政宗像 宮城県美術館←宮城県美術館

 仙台周辺を一望にする仙台城址に登り、伊達政宗の騎馬像を眺めていて、伊達初代藩主政宗の独眼が見つめる夢と人生美学を探りたいと思った。

 故郷であり、青春時代を過ごした仙台・宮城を旅する“伊達な秋”を味わって頂きたいと願っています。

(1)瑞鳳殿―絢爛豪華な桃山様式の伊達三代藩主の霊屋(おたまや)

 ―実質百万石を築き、当時最先端の桃山文化を開花させた政宗― 

 東北大学片平キャンパスから青葉城(仙台城が正式名称)に向かう途中に伊達藩祖政宗公の墓所瑞鳳殿、二代藩主忠宗公の墓所感仙殿、三代藩主綱宗公の墓所善応殿がある。深い杉木立の中に豪華絢爛な色彩を見て、桃山様式といわれる瑞鳳殿(三殿の総称として)の独特の華やかさに誰もが驚く。同時に、東北地方の一大名の墓所にしては艶やか過ぎると少し違和感をもっても不思議ではない。

しかし、伊達三代は、加賀藩と同じく、実質百万石の豊かな経済を築いたのである。仙台城は、秀吉の聚楽第様式をまねた。松島瑞巌寺を再興し、絵師狩野左京にきらびやかな桃山様式の襖絵を描かせた。三代藩主綱宗公の水墨画等は、江戸期東北を代表する作品として今も評価が高いという。

福島県の伊達郡を含む百万石であった政宗は、秀吉への抵抗の咎めによって、宮城県岩出山に居城を移封され54万石となった。関ヶ原の戦いで、家康は百万石への領土回復を約束する書状をもって、後背の上杉牽制への出兵を政宗に乞うた。政宗は出兵し、家康が勝利したが裏切られた。
『政宗は京都で家康に面会している。この時二人が何を話しあったのか、記録には残されていない。しかし、約束の百万石が与えられないままであることに変わりはなかった。』(文献2 136ページ) 

 1603年徳川家康が江戸幕府を開設、政宗の領地は仙台を中心に62万石と定められた。天下の現実を知り、軍事力の時代から経済力の時代へと切り替えて百万石をめざす。領地は荒れ地が多く、特に北部、北上川流域は湿地帯であった。中国大名・毛利輝元に仕えた川村孫兵衛を抜擢し、北上川改修工事を完成する。江戸幕府に次ぐ人数の家臣団に新田開発を奨励した。その結果、急成長した大都市江戸の米の3分の2を仙台藩が支える実質百万石の規模までになったといわれる。

 『仙台に桃山文化の華を開かせた背景に、政宗の高い教養と洗練された美意識があったことは間違いない。』(文献5 12ページ)
同時に、経済力に裏付けられた自然の粋であったことを忘れてはならないと思う。

(2)仙台市博物館―「国宝・慶長遣欧使節関係資料」展示

   ―西洋最強国スペインへの「支倉使節団派遣」の遠望―

米の刈り入れが終わった秋1613年10月28日、支倉六右衛門とセビリア出身の神父ルイス・ソテロ、堺・京都・名古屋商人含む150名の日本人がスペインに向けて宮城県牡鹿郡月ノ浦を出航した。1614年10月21日、スペイン王国最大の商業都市セビリア市に到着し、大歓迎を受けた。

1615年1月30日、支倉とソテロは、国王陛下フェリッペ三世の謁見を受けた。更に、支倉は、国王陛下、王妃、王女等の臨席の中で、1615年2月17日マドリードの教会で受洗式が挙行されたとされる。一行は、スペイン国王の庇護もあり、ローマ法王に厚く遇された。

 政宗の「慶長遣欧使節派遣」の遠望について、研究者による有力な説が発表されている。使節派遣は、徳川幕府と仙台藩共同の計画であり、幕府の船奉行の家来10名余を随行員に加えている。しかし、日本大学大学院教授大泉光一氏は、『政宗は・・(略)・・当然なことながら、ヌエバ・エスパニアとの直接通商交渉と宣教師の派遣要請という目的の裏に、伊達藩とエスパニア本国との同盟締結という極秘の目的があったのではないかと推察される。』(文献1 243ページ)と述べている。また、静岡大学教授小和田哲男氏は、『「奥州王」という自負をもち、独自な外交活動を展開していたことは考えられる。・・(略)・・しかし、その政宗の野望も、幕府による“鎖国”、すなわち幕府の貿易独占体制の強化によって押しつぶされることになってしまった。』(文献1 274ページ)と推察している。

徳川幕府成立により、天下の帰趨を覚った政宗が、当時の西洋最強国スペインとの対外通商による伊達藩の経済自主性確保への思いを持っていたとすれば、幕末の薩摩藩の事例を250年前に先取りしていたといえる。政宗の独眼が、海外を見ていたのは確かである。

(3)五感で味わう「美味(うま)し国 仙台・宮城」

 最後に、五感にしみ入る“伊達の旅”ガイドで終わりたい。

◆ 日本有数の温泉地―伊達な温泉を楽しむ、癒やされる
鳴子温泉 松島温泉 作並温泉 秋保温泉 遠刈田温泉 鎌先温泉 峨々温泉 蔵王温泉 小原温泉
◆日本三景松島、杜の都、蔵王の山々、三陸海岸―伊達な風景を楽しむ
松島湾 鳴子峡 栗駒高原 蔵王エコーライン 金華山 気仙沼 秋保大滝 小原渓谷 杜の都仙台 阿武隈川
◆ 海・山・大地の食材王国―美味(うま)し国を目で、舌で味わう
気仙沼牡蠣 三陸マグロ 金華鯖 仙台湾アナゴ 志津川真ダコ 蒲鉾 女川サンマ 仙台牛タン はらこめし 白石うーめん 仙台味噌 
◆ 歴史を訪ねるー東北最古の国府、霊所松島、城下町仙台、東北唯一の政令百万都市
奈良時代国府 多賀城 国府守護神 塩竃神社 伊達藩菩提寺 松島瑞巌寺 仙台 瑞鳳殿 仙台城跡(青葉城址)国宝大崎八幡宮 日本三稲荷竹駒神社 七ケ宿町 岩出山 有備館 金華山黄金山神社 宮城県庁・仙台市庁
◆ 伝統と先端の発信地
鳴子・蔵王こけし 仙台箪笥 現代漆器 仙台メデイアテーク 仙台 光のページェント 仙台市天文台 石ケ森漫画館 仙台市博物館 宮城県美術館 宮城県慶長使節船ミュージアム
◆ みちのく四寺回廊の旅―紅葉の東北をまわる
松島 瑞巌寺 平泉 中尊寺 山寺 立石寺 平泉 毛越寺

以上

 (参考文献)
 1.板東省次・川成洋 編『スペインと日本 イスパニア叢書5』(行路社)
 2.NHK取材班『その時歴史が動いた』(KTC中央出版)
 3.仙台・宮城デスティネーションキャンペーン推進協議会『美味し国 伊達な旅―仙台・宮城ガイドブック』
 4.JR東日本旅客鉄道(株)『仙台・宮城 伊達な旅』
 5.JR東日本旅客鉄道(株)『トランヴエール2008年10月号』
 6.(財)仙台観光コンベンション協会『ガイドブック 仙台』

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