2017/02/01 第22回「信賞必罰の「罰」と人事制度」
このところ、特に教育現場から体罰に関する問題が多く語られています。体罰というのは、基本的に「威圧と恐怖による支配」だと思うので、良い効果を生むとは思えませんし、コミュニケーションの取り方としても同様だと思います。罰という事がいったいどういうことなのかを良く考える必要があると思います。
話は少し変わりますが、主に経営者の方々から「信賞必罰」という言葉を聞くことがあります。「信賞必罰の企業風土にしたい」「信賞必罰の人事制度を!」などと言われます。
「信賞必罰」を辞書で調べると、“賞罰を厳格に行うこと。賞すべき功績のある者には必ず賞を与え、罪を犯し、罰すべき者は必ず罰するという意味”とあります。
組織における「功績」といわれると、業績向上、能力向上、発明、発見、社会貢献、その他いろいろなことが思いつきます。その程度に差はあったとしても、今までよりも何かを良くすることができたならば、それはみんな「功績」として見ることができるでしょう。
一方「罰すべき罪」といわれるとどうでしょうか。不正、怠慢、ルール違反などは明らかに罪といえるでしょうが、業績不振、能力の伸び悩みなどは罪になるのでしょうか?
やはりサボっていての業績不振と、頑張ったが結果が出なかったこととは違います。単純に結果だけに注目して、それをもとに罰を与えたとしても、それによってその後が良い方向に転換できるとは思えません。最低限の罰は必要としても、「罰がある企業文化」「罰がある人事制度」が、必ずしも良い効果を生むとはいえません。
失敗に対して「責任を取る」といいますが、これは「うまくいかなければ罰を受けます」という宣言です。その罰というのは、会社でいえば、減俸か、降格か、それとも辞めるくらいしか方法はありません。でもそんなことをしても、少しだけ会社の人件費が減るくらいで、大したメリットもありません。
政治家などが「私の責任で・・・」などと言うのを聞きますが、結局は「辞めてしまえば済むと思っているのでは?」などと感じてしまいます。場合によっては、どんな立場でもやり続けることの方が、よっぽど責任感があるはずです。
こうやってみると、「賞を与える」ということは、比較的多くの賛同や好感を得て実行しやすく、「罰を与える」ということは、何が罪かの線引きが難しく、その効果はプラスに働くものばかりではありません。最近よく言われる「褒めて育てる」も、こんなところにもつながっているのかもしれません。
「信賞必罰」という言葉は、一見毅然とした態度を示す良い言葉のように聞こえますが、そこでいう罰とは何なのか、どういう行為が罰に値するのかをしっかり見極める必要があります。ルール違反のような明らかな罪には毅然とした対応が必要ですし、一方で結果だけを見て問答無用に罰するようなやり方は、失敗を恐れてチャレンジしなくなるなど、組織運営においてはマイナスが大きいです。
組織における「信賞必罰」の中身は、よく考えなければならないと思います。
小笠原 隆夫(おがさわら たかお)
コンサルタント(人事制度、組織活性化、採用支援)
人事制度構築、組織活性化といった人事の悩みは、多くの企業で抱えている のではないでしょうか。
人事コンサルタントとして直面した課題事例や、人の感情ややる気・ムードといった人間の感覚的な切り口を合わせ、みんながハッピーになれる人事、組織とはどんなものなのかを考えて行きたいと思っています。
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